【2006年8月18日】

靖国問題に寄せて。(たまには真面目に…)


大学卒業以来、幸か不幸か国際的な職場ばっかり渡り歩いているので、靖国問題については私はとっても辛口です。自覚症状アリ。
今ちょうど、ドイツの大作家がナチのSSに所属してたってのが判って大問題になってますけど、そういうのを見るとやっぱり英霊云々の理屈は世界には通じないよなあと思う。だって世界の片隅の一宗教の論理にすぎないんだもの。靖国の特異な性質を理解する前に、たぶん「神道では人が死んだら神になるんだ」ってところから、きちんと説明しないとわかってもらえやしないよ。勿論その上で、その神道のシステムを戦争プロパガンダに利用した戦前の歴史的責任というのを、A級戦犯の戦争責任と区別して追及していかないとならないわけだが。(戦犯個人の責任問題より、大事なのはそっちな気がする。もっとも、靖国自体が、明治政府によるプロパガンダ的な存在なんだけどね。…左幕派だから、そのへんの見方もキツイですよ私は。所詮は東国者ですから。天領の出身ですから。)


前の職場(英文雑誌編集部)で、中国人の大学の先生が靖国問題でコラムを書いてくれたんだけど、「中国や韓国というのは儒教の国で、仏教や神道とは思想が相容れない」から「靖国がどうしても許せない」というテーマはちょっと目からウロコでした。
儒教ってのは、悪は悪、善は善で、犯した罪が消えることは永劫ない、らしいのですね(生憎と詳しくない)。でも仏教では、「善人猶以て往生を遂ぐ、況や悪人をや」なわけです。神道でも、禊でもって罪を祓うことができる。ここに両者の認識の溝があって、だから靖国問題が解決することはない、というのがその先生の論調だったのですが。
で、もし仮に、認識のズレが宗教観や、そこから派生した文化・心情に由来しているのなら、やるべきことはお互いを非難しあったり頑強に自己主張をすることじゃなくて、各々の主張を並べて冷静に比較して理解しあうことなんじゃないかと思うわけです。そのためには、「なぜ」「どうして」その主張をするのかというところをハッキリさせなきゃならない。日本サイドから見るなら、自虐史観だの内政干渉だのと言う前に、「どうして靖国に参拝する必要があるのか」、「何故靖国が日本に必要なのか」という点を、世界に対してわかりやすく説明しなきゃ駄目だと思うんだ。
「心の問題」と言い張る限り、向こうだって「被害者側の心の問題」として反発しかしない。靖国が今の日本に必要で、総理大臣が参拝するべき理由があるのなら、胸を張ってそれを説明すればいい。相手を納得させればいい。政治家なんて口がなんぼの商売なんだから、そんなこともできずに何が政治家だよ。政治家ってのは元来、口先三寸で諸外国と渡り合って国際社会での自国の立場をよりマシな方向に導くのが仕事のうちだろうに、今の日本にそれができる人材がどんだけいるんかねえ、と情けなくなってきます。幕末・明治の日本人を見習え貴様ら…!(行き着くところはそこですかい;;)(や、だってここ幕末サイトだから、ね…)
じゃ、なくて。
だからつまり、きちんと説明できないような言動を、仮にも国政を預かる人間がやらかすな! みっともない! …と、いうことです。言いたいのは。


―――うんまあもっと基本的な(私個人の)問題点をバラすと、佐幕派ってのに加えて、わたくしキリスト教育ちですもので(クリスチャンではないよ)。「人が死んだら神になる」という思想自体に、もんのすごい違和感があります。アミニズム的思考も持ってるので、木や石や山に神様が宿るって言われても抵抗感ないんだけどね…。人は死んだら自然に還るものであって神にはなれないよ、という「感覚」がある。そんな私にとって、「靖国」の思想は完全に外部のもの。説明してもらわなければ、わからない。日本に生れ育って、それなりに戦争についても勉強した私でさえそうなんだから、黙って「外国人に理解してもらおう」というのは甘い。綺麗事で流してもらおうというのも、甘い。ちゃんと、説明しなきゃ。
そんなことをつくづく思いめぐらしていた、2006年の夏なのでありました。


うーん、思ったままに書いていったら纏まらなかった…。駄長文でお目汚し失礼いたしました。m(_ _)m




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