その子どもは、まるくなって眠った。
 することをした後でも、つい先刻まで余すところなく手を伸ばしてきたのが嘘のように素気なく壁のほうを向いて、まだ薄くて華奢な子どものままの、それでいてあちこちに古い傷痕の散った背中をまるめて、ちいさくなって眠った。照明を落とした仄暗い部屋のなか青く沈んだシーツにくるまれて、微動だにしないただでさえ小柄な体躯は、たいそう力ない存在めいて見えた。
 防衛本能。警戒心の表出。
 ロックオンは心理学など詳しくはないけれど、自分の身体を抱えこむような寝相――いわゆる胎児型というやつだ――が暗示する心理状態くらいはわかる。
 この世に自分を護れるものは自分しかいないのだということを、事実として知っている子どもだ。
 庇護する手を端からあきらめている。自分以外の誰かを信じることを、捨てている。
 きっとすこし前には、そう、ほんの何年か前には、そうやってまるまって眠る腕の中には当然の顔をして、大量生産の粗悪な自動小銃が収まっていたのだろう。
 ロックオンはこの子どもの過去を知らない。この子どもだけでなく、現在の自分の仲間である一握りの集団を構成する誰の過去についても、まともな知識は持っていない。それでも、ごくわずかな情報から推し量れることはある。
 たとえば、ロックオンの狙撃の腕前を見れば、かれが今までに何人も殺してきたのだということが自ずと白日の下に曝けだされるように。
 元少年兵。その認識はおそらく正しい。元、と言ってしまっていいのかどうかは、現状あやしいものではあったけれど。
 憐れむ気は起きなかった。ロックオンにも――まだそう名乗る以前のかれにも、そうやって自らを抱きしめて眠った時期があったから。
 ただ、世界中を拒絶するように縮こまって眠るちいさなその背中をあたためてやることができないのが、残念だと思った。
 たくさん殺して、これからも殺しつづけていく自分の手は、子どもの眠りを護る役柄には相応しくない。黒いグローブに隠れて何食わぬ顔で命を奪う手だ。護れなかったから、壊すことを択んだ手だ。
 心の奥底にひっそり飼った闇を大義名分にすりかえて、贖いを先送りして、表層をとりつくろって生きる、
 ――――ひとごろし。
 たとえその成長しきらない肩に縋りついて声を上げて熱を交わして、そうやって傷を舐めあう真似はできても、いま、すっかり熱を喪ったベッドの隅で孤独に押し黙っている背中に触れることは、禁忌とさえ思えた。
 だからロックオンはいつも、子どもの邪魔にならないようすこし離れて、背中合わせに目を閉じた。
 せめて子どもがゆっくり眠ることができるように。
 このひとときだけでも、やすらかな休息が得られるように。


 夜中、唐突に目が醒めた。
 なぜかはわからない。わからないから、ロックオンはじっと動かず辺りの様子を窺う。
 太平洋の孤島の基地は安全な隠れ家のはずだったけれども、それを鵜呑みにして警戒心をゼロにするほどロックオンはお人好しではない。予定しない覚醒は、なんらかの刺激が外部からあったことを示唆している。
 しばらく気配を探って、けれど別段異常はないようだと確認して、ロックオンはようやく細く息を吐いた。たぶん夜行性の鳥か小動物がコンテナの近くで蠢きでもしたのだろう。
 と、そこで気づく。背中にぴたりと貼りついたぬくもりがあることに。
 夜の色をうつして深みを増した碧い眸が、しずかに見ひらかれた。
 いつのまに、ほんとうにいつのまに、子どもの二本の腕がロックオンの身体に巻きついていた。ひとまわり以上大きい身体を抱きかかえるようにして回された腕は、ロックオンの腹の前で指と指がどうにか繋がっている。かろうじて、ロックオンを閉じこめている。
 肩胛骨の裏にこつんと押しつけられた体温。
 すうすうという、穏やかな寝息。
 ――――動けない。
 息すら、できなかった。気配に敏いこの子どもが、ロックオンの覚醒にひきずられることなく未だ深い眠りの中にあるということがすでに、充分すぎる奇跡なのだ。ぴくりとでも身じろいだが最後、起こしてしまわないとも限らない。それはロックオンの本意ではない。それになにより、かれは激しく困惑していた。
 いや、むしろ混乱、だろうか、これは。
 なんでだ、と。
 どうしたんだ、何があったんだと、そればかりが頭蓋の内側をぐるぐる駆け巡っている。
 いつだって壁を向いて、背を向けて眠っていた子どもが。
 なぜ。
「う、ん……」
 ふと、背後の子どもがちいさく唸って、ロックオンは我にかえった。起こしたくはなかったが、起きてしまったのならむしろ好都合だ。
「刹那……?」
「―――――なんだ」
 動揺を押し隠してそうっと呼ばわった名に、いくらか間を置いてかえされた声色は眠そうではあったが、はっきりしたもので、ロックオンは安堵する。
「刹那、」
 しかし継ごうとした言葉は短く低い切りかえしに阻まれた。
「うるさい。寝ろ」
 こんなときでも有無を言わせぬ、刹那独特の断定口調。何も変わったことなどないと言わんばかりの。まるで、この状態が当然であるかのような。
 だけど、と反論する声が、みっともなくうわずった。
「けど、腕、おまえ、これじゃ痺れちまう、」
「―――寝ろ」
 ぎゅ、と腹に回された腕に力がこもる。そしてそれきり、また子どもは寝息を立てはじめた。
(うそ、だろ……?)
 呆然と、ロックオンは正面の壁を見つめて硬直した。
 剥き出しの膚に直接触れる、子どもの高い体温。横腹を伝って、臍のあたりに蟠る。熱。うるさいほどに跳ねる心音は、きっと子どもにも伝わってしまっている。ばれている。信じられない――信じがたい現実。
(ちょっとまて……まってくれ)
 なんだこれは。いったい、どうしちまったんだ。刹那は。俺は。…俺たちは。
 せつな、と再び呼んでみたが、こんどは返事はなかった。ただ、寄せてはかえす波のような安定した寝息だけが、あった。ロックオンが慎重に慎重を重ねて設けたはずの線引きを、いとも容易く飛び越えて。
 だめだ、と咄嗟に思った。
 だめだ刹那、これは――こんなのは。間違っている。
 けれど、だめだと思いつつも、しっかりと回されたその腕を振り払うことは、できなかった。不意打ちで与えられた無償のぬくもりは、それほどに心地よかった。
(ああ――――、)
 絶望にも似た気持ちで遠い夜明けを想い、ロックオンは瞼をとざした。




―――境界線

ご希望キャラは刹那さんでした。当然の顔をして刹ロクなのも兄貴が最終的に刹那に敵わないのも仕様ですあきらめてください(芸がないともいう)。いやだってきっと駄目なロックオンをご所望なのかなと解釈したらこうなったんです。
しかし肩胛骨モエでいいですか、なんて事前メール送っといてこれか、という…。いやその刹那さんがロッくんの肩胛骨に背中から額コツンがわたし的にモエだったというだけなんですが(謝れ)
20080525

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