「こんなことに何の意味があるというんだ」
 読みさしのペーパーバックに影が落ちたと思うや、開口一番、まっすぐ杭を打ちこむような切り口上が降ってきた。
 ロックオンは行儀よく連なる文字列に目を置いたままひとつまばたきをして、それから組んだ自分の足先二十五センチに立ちはだかった靴の持ち主の、少女めいて奇麗な相貌を見上げた。
「こんなことって?」
 何となく文句の矛先に心当たりがありながら反問を選んだのは、出来心というか、興味本位にすぎない。ティエリアの機嫌が目に見えて降下する。
「あなたというひとは…!」
 デュナメスが次に行うミッションで必要な物資の受け渡しを、たまたま地上任務の予定が入っていたヴァーチェのマイスターが請け負うことになった、そこまでは、ティエリアとしても想定し得る事態だった。そのほうが効率がよいとヴェーダが判断したのであれば、もとより否やはない。
 かれに理解できないのは、ふつうに軌道エレベーターのターミナルで会えば済むところを、わざわざAEU領内の一都市まで出向いて待ち合わせることの非合理さである。しかし、
「だって俺がパリに滞在してたからさ。デュナメスもこっちに隠してあるし、まだ暫く待機だし、だったら俺が行って帰ってくるよりおまえさんがこっち来たほうが無駄がないだろ」
 最年長のマイスターときたら、緑色のデッキチェアに悠然と寛いで、そんな屁理屈をしゃあしゃあと唱えるのだ。
「だとしても! あなたの待ち合わせの指定は無駄だらけだ。だいたい非常識にも程があるとは思わないのですか、あんな不親切な、連絡としての体裁すら為していない単語の羅列など…」
「けど、実際こうして会えたし。今になってみるとわかりやすいヒントだったろ?」
「どこが……!」
 白皙が憤懣に歪むのを、ロックオンは興味深く眺めやった。
 かれがティエリアの端末に残したのは、この街でおそらく最も有名な古い広場の名と、“in shade”“green chair”“bibliophage”という三つのことばだ。広場は決して狭いものではなかったが、CBに支給された端末にはGPS機能がついているし、その他大勢に埋没した異物をそつなく見抜く訓練を受けた自分たちにとっては、ちょっとした暗号遊びにもならない程度の他愛ない条件指定のはずだった。
 なぜそんな素直でない連絡方法を、この手の遊び心を面白がりそうなアレルヤでも、まるで気に留めやしないだろう刹那にでもなく、よりによって誰より融通という概念が通用しないティエリア相手に選択したかといえば、これまた単なる悪戯心、思いつきでした、としか言えない。きっと鼻で笑われてGPSであっさり居場所を割り出されて終わりだろうと、思っていた。
 なのに。
「あなたの指定した椅子はそこかしこにあるし、木陰で読書をする人など珍しくもない。それ以前の問題として此処はコンコルド広場ではなく、チュイルリー公園の中だ」
 基本的にあなたのすることは大雑把で無駄が多い、と容赦ない非難を浴びせて寄越すティエリアに、ロックオンはかたちのよい唇の両端を弓なりにした。手っ取り早い手段に気づかないわけもなかろうに、律義に自分の足で探したのだ、この生真面目なマイスターは。
「何がおかしいんです」
「いや、」
 途端に噛みつかれて、両手を掲げて降参のポーズを取る。そのまま斜め頭上の空を仰いだしぐさに、さしたる意味はない。視線は次いで広場の中央に聳え立つオベリスクの頂点で黄金色に燃える太陽の反射光へと移り、飛沫を散らす噴水の傍らを散歩するチョコレート色の大型犬と飼主を見とがめ、色とりどりの風船を抱えたピエロに群がる子どもたちを観察して、仕舞いに目の前の眼鏡の奥で吊りあがった眦に戻った。
 ロックオンは肩をすくめた。
「……わるかったよ」
 お詫びに何か奢ろうとの提案を、ティエリアは「結構」と一言で切り捨てて、握った右手をずいと突き出す。
「預かり物の在り処は、この中に。確かに渡しましたから」
 反射的に広げたロックオンの手のひらにメモリースティックを落とすなり、くるりと踵をかえした。それきり無言で歩き出したつれない背中に、まてまて、とロックオンが腰を上げる。鉄製の椅子がガタンと不協和音を立てた。
「もう用は済んだでしょう」
「だから何か奢るって。昼メシまだだろ?」
「結構、と言いました。栄養補給なら移動中に済ませてある」
「補給っておまえね、そういう考え方はどうかと俺は思うぜ。機械とは違うんだから」
「生憎と不自由はしていない」
「俺が嫌なの。じゃなくてさ、うまいサンドイッチ食わせるカフェがあんだよ、この近くに。カフェオレも絶品でさ。俺はどっちかってえと紅茶のほうが好きだけど、あそこのカフェオレは別だね」
 八角形の噴水をぐるりと迂回して突き進むゆるぎない歩調の三歩うしろを、ロックオンの伸びやかなストライドが追う。まるで撥水加工を施したようにきっぱりとした後姿。余分なものの一切を弾いて、寄せつけない。前へと。ただ、前へと。
 ロックオンは、ティエリアのそういうところが嫌いではない。
「あなたもしつこいひとですね…!」
 振り切れないと悟ったのだろう、前を行く背中が勢いよく振りかえった、その拍子だった。
 どん、という鈍い衝撃にティエリアの痩身が揺れた。遠心力でわずかに身体から離れて弧を描いたかれの腕に、他所見をしながら走ってきた子どもがぶつかったのだ。
「……っ」
「お…っと、大丈夫かぼうず」
 ロックオンが如才なく転びかけた男の子の幼い体躯を支える。
「あ」
 五つかそこらに見える子どもはロックオンには目もくれず、上を向いた。二対のまなざしがそれを追った。澄んだ蒼穹と白い雲を背景に、ふわりと浮かび上がる鮮やかなバーミリオン。
 咄嗟に伸ばしたロックオンの指先を、風船の糸は空しく掠めてすり抜けた。
「あーあ…」
 上がったため息はロックオンと、男の子を追いかけてきた仲間の子どもたちのもの。見上げる先、風船はマロニエの下から二つめの梢にひっかかって、ゆらゆら風に泳いでいる。いちばん背の高い―― 平均より高いロックオンがジャンプしてもちょうどぎりぎり届かない高さだ。
 呆然と見上げていた男の子が、不意に火がついたように泣き出した。
 ティエリアがあからさまに顔を顰め、舌打ちする。しかし、煩いと思いつつも責任を感じているのだろう、不機嫌な表情のまま、泣き喚く幼い子どもと、その友だちだか兄さん姉さんらしき幾つか年かさの集団と、頭上の風船とを交互に見やった。
 ロックオンはそんなティエリアを一瞥すると、確認するような視線を頭上へと投げ、次に周囲を見回した。それから、ぽん、と子どもの頭に手を置いて、
「ぼうず、泣くな」
 言い置くと、数歩離れた木立の下で長身を屈める。拾ったのは長さ三十センチばかりの落枝。
「何をするつもりです」
「まあいいから見てろって」
 口調ばかりは呑気に、けれど真剣そのものの眸をして、ロックオンはじっと風船を見つめたかと思うと一瞬の緊張を身に纏った。直後、しなやかな右手から弾かれたように飛んだ小枝は、鋭く回転しながらみごと風に揺らめく細い糸に絡みついた。
 重みと衝撃で風船がぐらりと大きく傾ぎ、梢を離れる。
「やった!」
 子どもたちの歓声をBGMに、
「ほらな」
 ロックオンはティエリアに得意げに笑いかけた。が、無感動な美貌は微動だにしない。
 あ、見て!と子どもの一人が空を指さした。
「あ」
 ロックオンがぽかんと口を開けた。一旦は下降しかけた風船が、風に流されてふわふわと漂いながら、ゆっくり空へと上っていく。およそ十リットルのヘリウムガスがもたらす五・七グラム程度の浮力。空気に対し〇・一三八しかない比重。錘にするには、小枝の重みは不足していた。
 がっかりした子どもたちの声が唱和する。ちらりと盗み見た天才狙撃手は、実に間抜けな表情で遠ざかる風船を見送っている。ティエリアは深々と吐息した。
「だからあなたは詰めが甘いというんだ」
 言い捨てて素気なく身をひるがえす。なぜ俺がこんなことを、と零しながらすたすたと今来た方角へ引きかえした。最短距離でめざしたのは、風船売りのピエロだ。二言三言、空を指したりして交渉するやはりゆるぎない背中を、ロックオンは茫然と眺めていた。
 ほどなくして同じ色の風船とともに戻ってきたティエリアは、にこりともせず手にした糸を子どもに差し出した。
「ほら」
 男の子は戸惑ったようにティエリアとロックオンの顔を見比べ、ようやく我にかえったロックオンの笑みに促されて、恐る恐る風船を受け取った。そして、ぱあっと笑顔になった。
「どうもありがとう!」
 まるで今の一幕などなかったかのように賑やかに駆け去って行く子どもたちを見送って、ティエリアはふん、と鼻を鳴らす。
「最初からこうすればよかったんだ」
 ロックオンは、それはどうかな、と首を傾げた。
「最初から代わりのものを与えても、それはやっぱり違うと思わないか? だめになったからじゃあ新しいのを、てわけには、世の中そう簡単にいかないだろう。譲れない部分ってのもあるだろうし」
「たかが風船だ」
「それでも、さ。あの子にとっては特別なものだったかもしれない。それは、外から見た限りじゃわからない。俺たちが大事だと思ってることが、外からはなかなか理解されないのと同じようにさ」
「あなたは何が言いたい」
 きっと睨みあげてくる濁りのない双眸を、ロックオンは見下ろした。界面張力、という言葉が思い浮かぶ。決して混ざらない雑じりけのないぴんと張った境界。決然として妥協をゆるさない。
 芯のように一本、確固たる信念を通して。
 ロックオンはそれが、嫌いでは、ない。
「そうだなあ……」
 振り仰いだ空は相変わらず抜けるように蒼く、ぽっかり切り抜かれた白い雲に一点、染みのようにちいさな赤い色が浮いていた。解き放たれ束の間の自由を謳歌するバーミリオン、が。
 ロックオンはわらった。
「人間は一筋縄ではいかないってことかな。で、だからこそ愛おしいってこと。……たぶんね」
 ところで、メシ食いにいかねえ? 能天気な顔で臆面もなく続けた男に、ティエリアは地の底まで届きそうなほどうんざりと嘆息した。




―――風船は喜んで空へ舞い上がり 男の子は泣き出した

ご希望キャラはロックオンとティエリア。タイトルの出典は絵本『コンコルド広場の椅子』とのことで……ええと、ここまで出典に引きずられるつもりは当初なかったのです、が。でも絵本を見たら、なんかすごくティエリアをコンコルド広場に立たせたくなってしまったのでした。「人間は愚かしい」「私にとってはすべて同じ人間である」――うん、すごく立たせたかった。その割に実際の舞台はチュイルリー公園だとか、↑のフレーズ使ってないとかは、ごめんなさい。パリは行ったことないのでわかりません。ぐーぐるまっぷ見て書きました(…)
まあ300年後なので!(まほうのことば)
20080618

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