「女の子?」
「ああ」
「…が、落としてったのか、これを?」
「ああ」
 こくりとまた頷いて、刹那は手にしたマグカップを口に運んだ。ふうん、と平坦な相槌を打って、ロックオンは視線を落とす。ちいさな田舎町にありがちなカフェ、というよりは食堂と呼んだほうがしっくりくる店の、清潔だが古ぼけた安物のテーブルの上。ピンクの小花の刺繍が入ったハンカチがひとつ。
 夏の避暑地として知られる閑静な高原の町は、すこし歩くともう林が広がっていて、そこで会ったのだという。
 たしかに昨日の午後、宿の周囲で刹那の姿は見なかったが。
(どこで何してんのかと思えば…)
 ミッションを控えて待機中といっても、今はまだ移動と準備に当てられた期間だから半ば自由時間もいいところで、必要以上に互いの行動に干渉する気もされる気もロックオンにはない。かれ自身、昨日は最低限のことをした後はすっかり休暇気分で、町の古本屋で物色してきた年代物のペーパーバックをひたすら読み耽っていた。
 それにしても。
「おまえもそういう年頃になったかあ…」
 隅に置けねえなあ、と感慨たっぷりに吐息すれば、刹那は訝しげな眼を上げた。
「何を言っている」
「ん? だからその子にもっぺん会いたいんだろ?」
「訳のわからないことを言うな」
 刹那の眉間の皺が深くなる。
「俺はこれを返したいと言ったはずだ」
「……違うの?」
「最初からそう言っている」
 ロックオンはぱちぱちと瞬きをした。それから、なあんだ、と肩をすくめてコーヒーカップを手に取った。
「せっかく同世代の女の子と話したんだから、もうちょっとこう、普通っぽいことも楽しめばいいのに」
「おまえが何を指して普通と言っているのかわからない」
「だーから女の子を可愛いと思ったりドキドキしたり、何かプレゼントしたり、ってこと」
「いちど会っただけの相手だ。それに、そんな無駄な真似をしている暇は俺たちにはない」
「無駄、ねえ……」
 そうでしょうとも、とロックオンは嘆息した。十四歳まで平和な日常に囲まれて生きてきた自分と違って、戦場で育った刹那は世界の多くの子どもにとってあたりまえのイベントを殆ど知らない。知らないから、必要とも感じていない。
 刹那だけではない、ロックオン以外のマイスターはきっと皆、そうだ。
(ほんとうならこんくらいの年頃の奴は、意中の女の子がこっちを見たとか見ないとか、そんな他愛もないことで一喜一憂して暮らすもんなのにな)
 自身が刹那の歳にはすでに銃を握っていたことを棚に上げて、ロックオンは頬杖をつくと、刹那のまだ幼さを残した面立ちを眺めた。
(さぞかしいい男に育つだろうに、勿体ねえよなあ…)
 そんな肚の裡は、
「何だ」
「んーにゃ、別に」
 年の功で悟らせない。不愉快そうに眇められたあかい眸に、にっこり笑ってみせる。
「おし、そんじゃ、その場所に行ってみっか」
 がたんと椅子を鳴らして立ち上がる長身を、不審なものを見るまなざしが見上げた。
「闇雲に探しても見つかるわけがない」
「やってみなきゃわかんないだろー? その子だって探してるかもしれないし。現場検証は事件解決の基本だぜ?」
 昨日読んだ本はミステリか。今度は刹那がため息をつく番だった。


「ほんとうにここなのか?」
 ロックオンの語尾が疑問形になるのも尤もだった。刹那がかれを案内した場所は、町はずれの林の中をだいぶ奥まで進んだところだったのだ。
 冬枯れた木立をすかしても、人家の影すら見えない。散策路からも外れた、閑散とした林のただ中。春が近いとはいえまだ風の冷たいこの季節の夕刻に、十代半ばの少女がひとりで訪れるような場所では、およそ、なかった。
 刹那がここへ来た理由なら、わかる。このすこし先の岩場から、麓の街がよく見えるのだ。下から見上げても山肌に張りついた大岩としか見えない、絶好の観測ポイント。ひらけた視界の下を大きな川がうねって流れている。
 その川を挟んで激しい戦闘が繰り広げられたのは、まだほんの片手で数えられる程度の昔の話だ。かつてあたりまえに共存していた人々が、民族や宗教が違うというだけで反目し、隣人や友人同士で殺し合った。国内を二分した内戦の悲惨さを象徴する街。国際社会の介入で紛争は表向き収束をみているが、人々の心に刻まれた傷は深く、根強い不信感から不穏な噂も絶えない。
 そうした噂の中でも信憑性の高いいくつかが、かれらガンダムマイスターをこの地に呼んだ。近く迎える停戦記念日に何やら画策している勢力があるという。岩場からはAEUの停戦監視団が駐屯する郊外の軍事基地も遠望でき、ついでに通信の傍受も可能だ。待機場所としてこの田舎町が選ばれたのには、それなりの根拠があった。
 だが、刹那が会ったという少女は、何のためにこんな淋しいところまで来たのだろうか? ロックオンは口元に拳を当てて考えこむ。
「どんな話をしたって?」
「――話らしい話はしていない。旅行者かと問われたから、そうだと言った。町や山野の印象を訊かれて、適当に答えた。向こうは町のことや季節の変化のことなどを話していたな。だが、それだけだ」
「その子のほうが先にここを離れたんだよな。どっちへ行った?」
「どっち、って…」
 何げなく指さそうとした刹那の、今しがたまで平然としていた面にわずかながら愕然とした色が走った。慎重に、思い出す顔付きで、指先が示した方向は、山の上。
「どういうことだ…?」
「こっちが訊きたいぜ…」
 かれらが宿泊する町より上に集落はなかったはずだ。ロックオンはヴェーダから転送された周辺の地図を脳裡に広げた。だが、作戦上必要なポイントは頭に叩きこんであっても、それ以外の、殊にミッションに影響がないとみなされたレベルの地理情報に関する記憶は曖昧だ。民間の人家の有無まではさすがに憶えていなかった。
 気難しげな面持ちで町に戻ったかれらに、ここ数日の滞在ですっかり馴染みとなったカフェ・ブランコ――という名の食堂――の女将はしかし、
「ああ、そりゃサナトリウムじゃないのかい」
 あっさりと種を明かして笑った。
「サナトリウム…」
「…が、あるのか?」
 女将は人懐こい笑顔で頷くと、ラム肉のスライスとパンを古ぼけたテーブルに置く。
「ほら、数年前のごたごたで麓の街が戦場になったろ。そんとき怪我した人たちが今も療養してんのさ」
 そこに面会に来た患者の身内あたりだろう、と恰幅のよい女将。
「あの戦争は酷かったからねえ。この町の人も随分と出てっちまった。金のあるやつは出て行ける、アメリカでもヨーロッパでも。若けりゃ余所でやり直すことだってできるだろ。けど、金も若さも頼る伝手もないとなりゃ、地元で細々やってくっきゃないさね」
 からりと言って肩をすくめる女将もきっと、苦労を重ねてきたのだろう。直接戦火に巻き込まれはしなかったこの町にも、内戦の傷痕は色濃い。避暑客は激減し、たまに物好きな外国人観光客が――ちなみに刹那たちもそういう触れ込みだ――危険を覚悟でやってくるくらいだという。何よりこのちいさな町には、若い男の姿が異様に少なかった。
 昼食を済ませたふたりは端末を確認し、急激な情勢変化はなさそうだとの確信を得て、とりあえずサナトリウムを訊ねてみることにした。


 車一台がやっと通れる幅の田舎道は、林間を縫ってゆるゆると高度を上げた。振りかえれば、蒼穹を刺す針のように尖った枝の合間に、赤いスレート葺きで統一された町の屋根が覗いている。刹那の手にはささやかな花束があった。「女の子に会うんならプレゼントぐらい用意しないとな」とのロックオンの提案によるものだ。
 サナトリウムでは、身元のはっきりしない人種も年齢も異なる二人組の見舞い客に警戒心を隠さず、それでも丁寧な対応でかれらを出迎えた。対応した職員は話が進むにつれ眉をひそめ、次いで刹那の見せたハンカチに目を剥いた。それから、上司に相談が必要だからすこし待つように、とふたりに言い置いて奥に引っ込んだ。
 ややもせず現れた白衣の男は、医師だと名乗った。
「サラに会ったというのは、きみたちか」
「俺だ。…名前は知らないが」
 即座に訂正した刹那のほうをかれは向く。そして、言った。
「ほんとうに?」
 刹那と、そしてロックオンも、眉を寄せた。ほんとうに、とはどういうことか。ふたつの表情が浮かべた不快感を目敏く見て取って、医師はああ、いや、と手を振る。
「きみたちを――きみを、疑っているわけじゃない。ただ……」
 躊躇いに言葉を濁し、何やら考えこむ素振りで視線をさまよわせてから、決心したようにふたりの顔を交互に見た。
「わかりました。ご案内します。――こちらへ」
 訝しく思いながら付いていった先、開かれた扉の中を一目見て、刹那はひゅっと息を呑んだ。
「な……」
 ロックオンが絶句する。すべてが白で統一された病室の中央、やはり真っ白いベッドの上に、少女はいた。何本ものチューブに繋がれ、痩せ細った身体を横たえて。ピッ…ピッ…という定期的な音だけが、彼女がかろうじて生きていることを教えていた。
 ロックオンの視線を受け、刹那がちいさく頷く。面変わりどころではなかったが、たしかに林の中で会ったのはこの少女だった。
「いつから…?」
 掠れた声でロックオンが訊ねた。医師は一瞬答えを見失ったように息を詰めた。
「ずっとです。あの戦争で頭部を負傷して、それからずっと。回復の見込みは――不甲斐ないことですが、奇跡を待つしか」
「……そうですか」
 刹那は黙ってベッドに近づくと、じっと少女を見おろした。閉じた瞼は開く気配もない。つい昨日の夕方に微笑を絶やさずよく動いたはずの唇は、色を失い、痛々しく荒れていた。
 ハンカチと、持ってきた花を、少女の胸の上にそっと置く。掛けるべき言葉は思いつかなかった。
 沈黙にとざされた帰り道を半ばも下ったころ、ふと刹那は足を止め、横へ視線をすべらせた。ロックオンが倣う。あかいまなざしは林道脇の下生えを踏みわけて林の中へ伸びた道なき道をみとめていた。獣道だろうか。そのまま下っていけば、たぶん刹那と彼女が"出会った"近辺に出るだろう。
「わからない」
 ぽつりと刹那がつぶやいた。
「なにがだ」
「あれは、生きているのか……。あれで、生きていると、言えるのか…?」
 生命維持装置を外してしまえば一日たりと保たない生。人工的に生かされている身体は、眠るというには生気に欠けすぎていた。ロックオンは目を細めた。
「そうだな……」
 十年前の、あの思い出したくもない惨劇の後、病院には同じようにチューブで繋がれた人がたくさんいた。たとえ意識不明でも生きているのなら、永久に喪ったわけではないのなら、咄嗟にそんなふうに思ったのを憶えている。一方で、いっそ死んでしまったほうがましだということが世の中にあることも、今は知っている。
 じっと林の奥を見つめたきり動かない横顔に目をやる。まだ子どもなんだよな、と唐突に思った。眸ばかりが大人びて。
「俺にも、わからねえよ……どっちが幸せかなんてことは。ただ、」
 いったん言葉を切って、ロックオンは息を吐いた。そう、ただひとつだけ、言えるとすれば、それは。
 死んだら、そこで終わりだ、ということ。
 喪われたものとは二度とまみえることはできないということ。
「たしかなことは、彼女は生きてるってことだ。生きて、おまえと会って、話をした。彼女もおまえも両方とも生きてたから巡り会えた」
 刹那がすこし驚いたような視線を向けてくる。そりゃそうか、ロックオンは他人事のように思う。植物状態で寝たきりの少女と林の中で出会ったなんて、よくて白昼夢、でなきゃ頭がおかしくなったとしか考えられない。誰より現実を見据えて生きるべきガンダムマイスターがまともに取り合う話じゃない。
 それでも。
(会えたってんなら、それでいいじゃねえか)
 羨ましさすら感じている自分を自覚して、ロックオンは微笑った。
「おまえは、彼女に会ったんだろ。なら、それがすべてだ」
 刹那はロックオンの真意を探るように暫く碧翠の双眼を見上げていたが、やがてはたりと興味を失ったように踵をかえすと、そのまま無言で歩みを再開した。素気ない反応に苦笑し、ロックオンもそれに続いた。
 行く手の木々の隙間には、町の赤い屋根がもう見え隠れしていた。




―――サナトリウム

ファンタジー。…は、あまり書くひとではないのですが(読むのはだいすき)、23話でああいう真似をしくさらす兄貴に、「死んだら終わり」と言わせたかったのです。二期で刹那さんに猛烈に怒られてしまえ!(やつあたり)(そして願望) 
刹那さんは何があっても生き延びようとするひとで、ロッくんは死に損なったひと。という解釈をしています。
川を挟んで戦った内戦の象徴の街。ボスニア・モスタルを意識しているようでいて、実際にはモスタルには潅木しかないので嘘八百。むしろ町のサイズはわたしが英国で住んでた町(名目)という名の村(実態)だったり。土地イメージとして八ヶ岳山麓(えええ) サナトリウムといえば八ヶ岳、というのは堀辰雄の影響です。
20080812

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