人の手の入らない熱帯の森は今日も鬱蒼と繁って、はるか上方の梢で羽を休める鳥の囀りが降るように聞こえていた。午下がりの遠い木漏れ日が、コンテナから一歩踏み出した刹那の褄先でちらちらと踊る。それに無感動なまなざしを一閃して、刹那は湿った黒土に足を下ろした。
 歩き出す、行く先にとくにあてはない。昼食を終えて、エクシアの機体整備や定時連絡など必要な日課も済ませてしまったら、当面するべきことがなくなっただけだ。飽かずエクシアを眺めて過ごす時もかれには珍しくなかったが、なぜか今はそうする気にならなかった。
 すこし、疲れているのかもしれないと、客観的に診断する。
 トリニティが民間の軍需工場を攻撃したと聞いてこの島を飛び出したのは、つい昨日のことだ。三機のスローネとやりあい、ヴァーチェ、デュナメスが合流して、ヨハン・トリニティから思いも寄らなかった真実を手酷いやりかたで暴露され。島に戻って、ロックオンと対峙した。
 小川のゆたかな水音を背景に、いつだって親しみをこめて向けられた南の海の彩の眸が、憎しみに歪んでいた。普段やわらかく刹那を呼ぶ声は硬くこわばって、ふるえていた。銃弾が、左耳のすぐ脇を飛び過ぎていった。
 刹那は目を閉じなかった。殺されやしないとたかを括っていたわけでは決してない。ロックオンの殺気は本物で、その腕がたしかなことならよく知っていた。それでもなお、避けようとか助かろうといった思考は刹那の脳裡に浮かばなかったし、かといって悲壮な覚悟のようなものも、なかった。
 ただ、ひたと据えられた銃口と、その向こうから睨みつけてくるこんなときでも奇麗な双眸から、眼を逸らしたくないとだけ思っていた――。
 と、突然に開けた視界に、刹那は面食らったように足を止めた。
 無意識のうちにも昨日の小川の辺を避けて歩いていたらしい。波の音が耳を打つ。砂浜の白さが薄暗さに慣れた目に痛い。
 あんなことがあった翌日も、南の空は相変わらず底抜けに蒼く、海は暢気にたゆたっていた。その波の奏でる一定のリズムの中に、敏感な耳はかすかな異音を拾う。金属の跳ねる音。
 ざり、と砂を鳴らして刹那は音の方向へ進路を変えた。その先に見える光景は、わかっていた。
 波打ち際に転がった流木の上を、銃口が狙っていた。並べられた大小さまざまの空き缶は、この無人島での生活にいま銃を手にする男が好んで持ちこむ異物だ。現在島に滞在するいまひとりは以前、パッケージならもっと始末に困らない素材がいくらもあるのにと顔を顰めてみせたが、男は鷹揚に笑って、ほかにもいろいろ使い途があんだよ、と肩をすくめていた。
(使い途……)
 たしかに施設らしい施設もないこんな島では、射撃訓練システムなどは期待できないが。
 じっと構えた背中、肩胛骨のあたりにぴくりと緊張が走る。サイレンサーをつけているのだろう、銃声はなく、かすかな発射音に続いて金属の弾ける音が聞こえた。常人より優れた刹那の視力は、銃弾がしっかり的を撃ち抜いたのを見ていた。距離は、ざっと五十メートルに足りない。成層圏を狙い撃つ名を持つ男には何ほどのこともない射程だろう。力む様子もなく、二発目を放つ。トマト缶が弾け飛ぶ。間を置かず隣のカフェオレ。続いてツナ缶。
 刹那はふと眉根を寄せた。昨日かれと対峙した距離はこの何分の一だった。ロックオン・ストラトスが、コードネームを体現する精確な狙撃の腕を持つガンダムマイスターが、狙った標的を撃ちもらすはずがない。だから、赦された、のだろうと刹那は思う。赦されてしまったのだと。
 けれど。
(わからない……)
 それはほんとうにかれの本心だったのだろうか。
 目を閉じれば今でも容易に思い出すことができる。死と破壊のみに支配された乾いた大地。毒々しいまでに赤く炎上する空の下、闇雲に走った。居もしない神を信じて戦った、愚かで無力な自分。
 刹那が戦うのは、戦うことしかできないからだ。戦って世界を変える方法をCBが教えてくれたからだ。だが、傍らでともに戦ってきた男は、奪われた悲しみと正当な怒りを糧に世界を変えようとしている。奪った側の人間が、そこに並んでいてよいのかどうか。
(わからない)
 刹那は唇をひきむすんだ。黙って踵をかえそうとした、そこへ、 
「刹那か」
 振り向きもせずロックオンが声をかけた。ぎくりと刹那は背をこわばらせる。格別に気配を断っていたわけではないから気づかれても不思議ではなかったが、一瞥もせずに看破されるとは思わなかった。尤も、現在この島には三人しかおらず、いまひとりのマイスターは真昼間の浜辺に出てくるタイプではないから、案外と簡単な消去法であるのかもしれない。
「トレミーからの連絡事項か?」
「いや……」
 それきり刹那は、いったい何を口にすればいいのか戸惑う。口籠もって視線を砂に落とすのと、ロックオンが苦笑する気配を感じたのが同時だった。
「どうしたよ、刹那」
 呼ばわる声は、やわらかい。昨日のことなどなかったかのように。嘘のように当然のように「普通」のロックオン・ストラトス。
 それが強烈な違和感をもたらすのだと、どうしてかれは気づかないのだろうか。
(どこだ……?)
 おまえの本心は、どこにある。刹那は奥歯をかみしめて眩暈をやりすごした。黙ったままの刹那にロックオンは苦笑を深めたようだった。それから、
「まあいい。暇なら、手伝ってくれねえか」
 と言った。
「手伝い?」
 顔をあげた刹那に、おう、とロックオンは明るく笑って、流木を指さす。
「いちいち拾いに行くのが面倒くせえんだよ。それに、静止標的ばっか狙い撃つのも飽きた。おまえが缶を放ってくれりゃ、ちょうどいい練習になる」
 ここんとこ待機続きだったからな、そうそう勘を忘れるほど鈍いつもりはねえが、暇持て余すよかなんぼか生産的だろ。流暢に告げられた理由を、たぶん半分はほんとうで半分は偽りだ、と刹那の直感は判じた。最年長のマイスターは四人の中でいちばん時間の使い方が巧く、およそ暇を持て余すタイプではない。
 だが、断る理由もとくになかった。刹那は否定も肯定もせず、ただ真っ直ぐ流木の方へと向かった。波打ち際で洗われている空き缶を二つ、三つと拾う。腕に抱えたまま流木の脇に立った。
 目線を合わせたのが、合図。無造作に宙に放り投げたギネスの缶を、銃弾は奇麗に貫通した。
(おまえは、何を考えている)
 次々と投げられる缶を、ロックオンはいとも容易く撃ち抜いていく。戴く名を裏切らぬ腕前。訓練など無意味だろうと思わせるほどの。
 魔がさしたのは、何度目かに缶を拾い集めたときだった。
「これは狙い撃てるか」
 自分が何をしているのか思考が理解する前に、右手が勝手に動いていた。拾った空き缶を身体の横で軽く掲げてみせる。ぱちりとまたたいた無感動なまなざしがまず空き缶の存在をちらと確かめ、それから刹那の顔へと移動した。
 真剣に的を見さだめるのとはまた違った、一切の温度を含まない無表情。刹那の知らない男の貌。
「ああ……撃てるぜ」
 かたちのよい唇が動いて、平坦な声が答えた。ついと目線を手元に落として、残弾数を確認する。なんでもないように構えなおす。
「もうすこし上を、ぶら下げるように持て」
 冷静な指示に、黙って刹那は従った。眼は、逸らさない。
「動くなよ」
 低く短い警告の直後、耳が音を聞くより先に右手に衝撃が伝わった。
 持っていたはずの缶はずっと後方に吹き飛ばされていた。指先につたわる鈍い痺れ。軽く手を振って散らす。
 面白くもなさげに銃を下ろしたロックオンは、ふと、獰猛な笑みを浮かべた。
「なんなら、もっと芸術的なやつを見せてやろうか」
 皮肉げに歪んだ口元が剣呑に嗤っている。獲物を視界に捉えた肉食獣のそれを刹那は思った。そういえばこの男は狙撃手だった。じっと身を潜めてターゲットが射程に入るのを待つしぐさは、どこか狩りに似ているかもしれない。
 いつもにこやかで愛想のよいこの男が、デュナメスのGNスナイパーライフルを撃つコクピットの中でどんな表情をしているのか、知らないことに刹那は初めて思い至った。
「ウィリアム・テルって男の話を知ってるか?」
 問いのかたちをしたそれは、答えを必要としたものではない。ロックオンは歪んだ笑みを貼りつけたまま、遠い昔の伝承を語る。
 支配する異国の民に圧政を敷いた愚かな権力者は、広場に自分の帽子を飾り、前を通る際は帽子にお辞儀するよう人々に強要した。それを拒否した男に、権力者は男が自分の息子の頭上に置いた林檎を矢で射ることができれば、助けてやると持ちかける。自分の命か、息子の命か。二者択一を迫られた男は、見事いちどで林檎を射貫いてみせた。そして官憲の手を逃れると、こんどはその愚かな権力者を射殺した。民は男を英雄と称え蜂起、やがて独立を果たすのだ。
 しずかに話を聞いていた刹那は、
「こういうことか」
 淡々と、足下に転がっていた空き缶をひとつ、拾って頭の上に乗せた。
「ご名答」
 ロックオンは唇の片側だけで物騒に笑った。満足そうに。
「目ェ瞑っててもいいぜ」
 再び銃口が上がり、刹那の眉間を一瞬かすめて、頭上へと固定される。すこしでも手元がブレれば、頭を吹き飛ばされるだろう。刹那は黒々と不気味に穿たれた銃口を真っ直ぐに見た。
「必要ない」
「あっそ」
 つまらなそうに吐き捨てた男の纏う空気が、次の瞬間がらりと変わる。恐ろしいほどの集中力。いったん瞼を閉じて、風の流れをたしかめる。
 一呼吸の後、シーグリーンの眸がひらかれた、そう認識したのと、ちいさな発射音が聞こえたのとが、同時。
「………どうよ」
 照準をはずして、にっと得意げに笑った顔は、いつものロックオン・ストラトスだった。
 銃弾はあやまたず、刹那の頭上の缶のみを吹き飛ばしている。刹那はちゃんと、それを見届けた。ほうと吐息ひとつ、視線を爪先へと落とした。
「それが、おまえの……」
「ん?」
「いや……なんでもない」
 それがおまえの答えか、と。言おうとした言葉を刹那は呑みこんだ。わざわざ口にせずとも判りきったことだった。
 昨日も、今日も、ロックオンは一度として刹那を狙ってなどいなかったのだから。




――― それがおまえの、

リクエストはグラロクか刹ロクとのことでした。ありがちに刹ロクに落ち着きました。ごめんなさい(笑) そんなところで射撃練習してたら通りすがりに空から目視されませんか。とか、50メートル先の表情が何でわかるんですかとか、海風の存在は無視ですかとか。そういうことは言っちゃだめです。アニメだから。アニメの二次だから…!
SS-008とは別ver.のようなそうでないような。実は元ネタは008を書きあげた直後にシリアスに耐えかねて書き散らしたギャグでした(えええ)(主にウィリアム・テルなあたりが)
20080922

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