武力介入はするがターゲットはできるだけ殺さない、なんて甘すぎる、と。
突如あらわれた新たなガンダムマイスターが不躾に述べた苦言に、ロックオンは目を眇め、アレルヤは俯き、ティエリアは眉ひとつ動かさなかった。そうした反応を視界の端に留めながら、刹那は頭の何処かがかっと赤く染まるのを自覚した。
わきおこったものは、憤り、だ。
(何も知らないくせに)
かれが、かれらが、どんな想いでガンダムに乗ることを選び、ミッションに従事してきたのか。他の三人のマイスターたちの理由を、その事情を刹那は知らない。知ろうとも思わない。それでも、紛争介入という行為の先に全員が切望するものがたったひとつの同じ未来であることは、驚くほど容易に信じられた。
戦争のない、平和な世界。自分のような存在がもう二度と生まれずに済む、やさしい世界。
そのためなら、何だってできる。
(だから俺たちは世界を敵にまわした)
この世界を憎み壊すためではなく、歪みを正すために。護るために。
(CBがそういうものだと信じたから、だから、)
ギリ、と奥歯を軋らせて一歩前に踏み出した、刹那の肩を押さえた手があった。
「刹那」
(ロックオン)
なぜ止める。原始的な怒りは翻って年上の同僚に向かう。
「うるさい、」
そう言い捨てて邪魔な手を振り払おうとするのを、ロックオンはあくまで冷静な口調と力をこめた右手で制した。
「自重しろ」
それから視線を前へ向け、刹那が次を口にするより先に、言い足した。
「殺しちまうのは、簡単だ。簡単なんだ、刹那。殺さずにいることのほうがずっとずっと、何十倍も難しい。俺たちはそれをこれまでやってきたんだ」
どこまでも淡々とした穏やかな声。けれど、真っ直ぐに前を向いたそのまなざしは常のかれに似合わず、ひやりと冴えきっていた。構えたスコープの先に確実に奪うべき命を見つめる、酷薄な。
ひとごろしの、眼。
しんと静まりかえった室内に、誰かが唾を呑みこむちいさな音が響いた。
へえ、とロックオンは感心したように呟いた。
「身を隠すにはお誂え向きの環境だな。さすが留美お嬢さんの手配だけある」
刹那は気に入らなさげに目を細める。
「人が多すぎる」
「だからいいんじゃねえか。しかも皆、警戒心が薄くて周りに無関心ときてる。気楽に過ごせそうだ」
刹那が潜伏する街を興味深げに見わたす男は、やけに嬉しそうな顔をしている。遠目にはただのお上りさんにしか見えないだろう。――口にした内容は微妙に物騒だったが。
こいつはこれまでどんな生活をしてきたのだろう、と刹那はふと思った。少なくとも自分と違って、他人との接触に忌避感はまったくない。自分や他のマイスターたちとの接し方を見ても、こうして街の中にいる様子からも、それは疑いがなかった。
しかし、だからといってロックオンが危険に無頓着というわけではない。その証拠に、かれの眼は油断なく周囲を観察し、冷静に分析して、そのうえで先程の感想を述べたのだ。
つまり、人気の少ないところのほうをこそ、危険と判断したということだ。
(なぜだ……?)
刹那の知る環境において、人ごみは常に危険に満ちていた。いつ何処の誰が自分に牙を剥くかもわからないし、そもそも人が大勢集まっているところは襲撃の対象になりやすい。いつだって物陰に身を隠し、小人数か単独で動く。ともに行動する相手であっても必要以上に信頼はしない。それが身を守るための最低条件だった。
同じガンダムマイスターという立場ながら、同一環境下にあって正反対の状況判断をする。年齢差というだけでは説明しきれない溝を、刹那は感じる。
これは、ちがう生きものだと、本能が警鐘を鳴らす。
わずかに不機嫌を帯同させた刹那の気配を敏感に察知してか――この男はほんとうにそんな無駄なことに妙に聡いのだ――、ロックオンは苦笑しながら刹那を見下ろした。
「木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中、ってね」
説明のつもりだろうか。生憎、刹那はそんな格言は知らない。かれの育った世界で、木はやはり目立つ印でしかなかった。
今度こそあからさまに――といっても世間の常識からみれば極々わずかに――眉を寄せると、ロックオンの笑みが深まる。ぽん、とグローブの右手が頭に置かれ、刹那は反射的にびくりと竦んだ。
お、悪かった、とロックオンはたいして気にしたふうもなく手をどかすと、
「ま、おいおい慣れていけばいいんじゃないの」
やたら人懐こい笑顔でそんなことを言った。
かれは黙って空を見上げていた。首が痛むだろうと思えるほど長い間、身動ぎもせず、真摯に。あるいは、必死に。
降りてくるものか、さもなくば落ちてくるものを、どんな些細なものでもかまわないから発見しようとでもいうように。
「ほんとうに行くのかい」
常と変わらぬ穏やかさで発した問いに、行くなという想いが滲まないよう抑えるのは、並大抵の努力ではなかった。ヘルメットを手にした男は一歩踏み出した恰好のまま振りかえり、
「ああ」
微笑すら湛えて頷いた。迷いなく。
――どうしても? 畳みかけたい気持ちを呑みこんで、かれはただ男を見つめる。男のあざやかな緑の双眸を。ゆるぎなく己が進むべき道を捉えてぶれない、意思の光を。
見つめて、やはりその光が揺らがないのをたしかめて、ふっと息を吐いた。眉尻が下がって、仕方ないなあという気持ちを正直にあらわす。そんな表情をしてみせたところで、男に翻意を促すことなど叶わないと知っていたけれど。
きみは頑固で、こうと決めたら梃子でも動かなくて、でも、そんなきみだからこそ僕としてもいろいろしてやりたくなるのだけれど。
「じゃあ、行っておいでよ」
口にしたのは、それだけだった。いつもの穏やかな口調で、微笑みも忘れなかった。そのほかの何もかもは、余計な感情も感傷も干渉もすべて、肚の奥底に呑みこんだ。
「ああ、行ってくる」
男も笑顔でそれだけ答えて、踵をかえした。右手を上げて挨拶に代えて、真っ直ぐな背中が遠ざかっていく。毅然とした足取りで。
ぴんと伸びたその背中が、ほんとうは見た目ほどつよくも自信に満ちてもいないことをかれは知っていて、それでも送り出すしかないことも、わかっていた。本能で泳ぎまわる回遊魚の動きを無理に止めれば死んでしまうのと同じだ。戦う生きものに戦うなと言うことは、生きる意味を奪うのと変わらない。
だからかれは、ただ、遠ざかる背中を見送った。
そうして今かれは、凝っと空を見上げている。あおく澄んだ空の向こうの成層圏を見つめている。
帰ってこい、という祈りが、声になることは、ない。
ただ、黙って空を仰いで、待っている。