渦巻く風に艶やかな髪をなぶらせながら、かれは頭上でホバリングする小型飛行艇がゆっくりと降下してくるのを見守った。
白い機体が砂浜に近づくにつれ、巻き起こる風は強さを増し、砂粒を孕んでかれに襲いかかる。片腕で目を庇いながら、しかし鋭いほどの意思の光を宿した眸が閉じられることはない。強風に煽られかけた足元を踏みしめ直して、まっすぐに機体を見つめる。
と、
「ティエリア……!」
懐かしい声が響いたと同時に、地上までまだ2メートルは優にある飛行艇の脇腹のハッチが開いて、男がひとり飛び降りてきた。黒髪の男は砂地の足場の悪さをものともせず、三歩でティエリアの前までやってくると、その勢いのままぎゅっとかれの痩身を抱きしめた。
「ティエリア!」
「……久し振りだな、アレルヤ」
一瞬驚きに目を瞠ったものの、ティエリアの声のトーンは微塵も揺らがなかった。アレルヤは苦笑して腕の中の身体を開放すると、久々に会う仲間を上から下まで眺めて、昔を懐かしむ貌つきになる。
「きみの落ち着きぶりは相変わらずだね」
ティエリアは微笑んだ。アレルヤが敢えて避けたであろう一言が、かれにはよくわかっていた。
「きみも、思ったほど変わってはいない」
「そうかな?」
「ああ」
頷いて見上げる男の顔は、かつて見知っていたものより精悍さと落ち着きを増している。一方、ティエリアの容姿にはまったく変化がない。最後に会ったのがもう十年も前だということを鑑みれば、十代後半の外見を保ったままのティエリアの異常さは一目瞭然で、けれどそれに一言も触れようとしないさりげない気遣いが、昔と変わらず実にアレルヤらしかった。
「ひとりなのか?」
「いや、中に刹那とロックオンが、」
「そうじゃない。家族は連れてこなかったのか」
「え」
アレルヤは目を丸くした。かれは今、マリーと旧人革領の一角でひっそりと暮らしている。それをティエリアが知っている点は驚くに値しない。会わずにいても、かれらはこの十年間、何かと連絡を取り合ってはいたからだ。だが。
「だって、約束はマイスターとしてのものだったでしょう?」
戦いが終結し、それぞれがそれぞれの新しい道を選んで歩きだしたあの日。十年経ったら例の南の島で再会しよう、と言い出したのは、ティエリアだった。
「例の南の島」、そう言われてかれらの脳裡に浮かぶのは、最初の介入行動のときに基地にしていたふたつの島のうちのひとつ、たった一度だけマイスター四人でバーベキューをした砂浜だ。いなくなってしまった一人目のロックオンとの、大事な思い出の場所。だからこそ、マイスターだけの集まりなのだと、アレルヤは考えたのだけれど。
「あー悪い。オレは連れてきちまった」
割り込んできた第三者の声に、アレルヤとティエリアは振りかえった。
栗色の巻き毛を肩まで垂らした男が、よ、と片手を上げてみせる。
「ロックオン」
まったく同じ容姿ながらこの島に何の思い出も持たない最年長のマイスターの姿に、ティエリアのまなざしがふわりと和んだ。
「来てくれたんだな」
「おいおい、ここまで来て仲間外れは勘弁してくれ」
二人目のロックオン――ライルは、肩をすくめて笑う。やはり目尻のあたりに流れた歳月の証拠が刻まれている。さらにかれは、腰の両脇によく似た子どもの顔をふたつ、くっつけていた。
「きみの子、か」
ティエリアが視線を落とすと、ライルの左右の足にしがみつくようにして覗いていたちいさな顔は、慌てたようにひょこんと足の陰に引っ込む。それを苦笑とともに前へと押し出しながら、
「ああ。こっちがニールで、こっちがエイミー。双子でね。エイミーが姉さんだ」
ライルが告げた名に、ティエリアは目を見開いた。それから、睫毛を伏せて微笑んだ。
「そうか……」
その表情に、幼い双子は自分たちに危害をもたらす存在ではないと判断したのだろう、きょとんとした顔でティエリアを見上げ、異口同音に問うた。
「「おねえさん、だあれ?」」
ライルとアレルヤが揃ってぶはっと吹き出す。ティエリアは何気ない仕種で腰を屈めると、父親とその兄のそれと同じ珊瑚礁の海の色を映したような眸と、律義に視線を合わせた。
「ティエリア・アーデ。お姉さんじゃない、お兄さんだ」
「おにいさんなの……?」
「そんなきれいなおかおなのに…?」
「そう。よろしく、エイミー、ニール」
差し出された細く白い手を、双子は恐るおそる握る。けれど、物怖じしないのは血筋だろうか、
「あとで島を探検するかい?」
ティエリアの提案には、無垢な眸を輝かせて「うん!」と大きく頷いた。
「おいおい、いいのかぁ…?」
「構わない。十年も住んでいれば庭みたいなものだ」
「そっか」
まあ、お守の申し出はいつだって歓迎だ。ライルは口の端をニヤリと撓め、次いで周囲を見わたして両眼を細めた。
「初めて来たけど……いいところだな」
「きみの兄さんは殊のほか気に入っていたようだった」
「あー、だろうなあ」
アレルヤもあらためて首をめぐらせる。南国の太陽に白く眩しい砂浜、寄せてはかえす穏やかな波の音、海風にさざめく緑ゆたかな森、囀りながら上空を翔ける鳥の羽ばたき――。
実に十五年の時を経て、島はかれらの知るうつくしいものを何ひとつ失ってはいなかった。
「ティエリア、アレルヤ、ロックオン。荷物を運ぶのを手伝ってくれ」
ゆったりとした大自然の心地よさに浸っていたかれらは、すこし離れたところから投げかけられた声に我にかえった。見れば、十メートルほど向こうの砂の上に完全に停止した飛行艇の脇で、刹那が大きな段ボール箱をふたつ抱えて立っている。
「ごめん、刹那!」
いち早く反応したアレルヤが走っていき、どうやら移動中にすっかり懐いたらしい双子がきゃっきゃとはしゃぎながら追いかけた。
「おい、転ぶぞおまえら!」
ライルが慌てたように続く。すっかり父親ぶりを発揮しているその姿にくすりと笑みをこぼし、ティエリアもそちらへと足を向けた。
刹那は、十年間会っていなかった事実などなかったかのように、ごく自然にティエリアを見た。
「連絡をもらった資材はすべて揃えた。一応、テントや寝袋も持ってきたが」
「手数をかけた。コンテナを改造した居住スペースだから居心地はともかく、広さは問題ないと思うが……まあ、折角の機会だ。皆でキャンプをするのもいいな」
「どこへ運ぶ?」
「案内しよう」
並んで歩く、刹那の背丈は別れたときからさほど変わっていないようだった。幼少期の栄養不足が原因だろう。だが、肩幅や体つきはよりしっかりと、成人男性のそれになった。
(初めて顔を会わせた時は、まだたった十四歳の子どもだった)
削ぎ落としたように表情のない幼さを残した顔立ちの中で、おおきな赤い眼玉だけが爛々と感情を滾らせていたのを、ティエリアは憶えている。あれから、少年は瞬く間に成長していった。身体も、精神も。十年前、四年ぶりに再会したときなどはあまりの変貌ぶりに多少ならず驚いたものだ。
(利己的で不完全で……それでも未来を求めて変わっていく。それこそが人間なのだと、あなたは言っていたな)
飄々とした快活な笑みで自分たちの潤滑剤となっていた男の存在は、昔も今もティエリアの心にしっかりと根付いている。かれならば、今の自分たちを見てどう言うだろう?
ティエリアはふと悪戯っぽい笑みを浮かべて、刹那を流し見た。
「実は、髭を生やしてくるかと少々期待していた」
刹那の生まれ故郷では、成人男性は髭を生やす習慣がある。ただ、かれの故郷はすでに廃墟と化しており、かれが世界を転々と旅しながら生きていることなら、ティエリアも承知していた。だから、これはわざとだ。
刹那は、赤い両眼をぱちりとまたたかせ、真顔で反問した。
「似合うと思うか」
「案外と似合うかもしれないとは思ったが」
間髪を入れぬ切りかえしに、意思の強さそのままに引き結ばれていることの多い薄い唇が、ふっと緩む。
「そうだな、ならば次会うときは考慮しよう」
「次と言わず、ここに滞在する間ずっと剃らずにいたらいい」
大真面目に冗談を交わすふたりに、すこし離れて後に続くライルとアレルヤは顔を呆れたように見合わせ、それから楽しげに笑った。
「せーの、」
「「えい……!」」
刹那が飛行艇で運んできたデッキテーブルに、アレルヤと子どもたちが若草色のクロスをかける。そこからやや離れたところにバーベキューセットを設え、刹那が火を熾している。
「で、何飲むんだって――?」
森の際に立てたテントの下、クーラーボックスの中を覗きながらライルが声を張りあげる。
「ぼくオレンジジュース…!」
「じゃあ、あたしはジンジャーエールがいい!」
子どもたちが父親の元へと駆けていき、
「僕はなんでもいいですよ」
「刹那とティエリアは?」
「なんでもいい」
「僕も適当なものでかまわない」
「あのなあ、なんでもいいとか適当とか、そーゆーのがいちばん困るんだぜ? なあ、おまえら」
「それ、いっつもパパがママにいわれてることー」
「ことー!」
「こらっ、そんなことここでばらすな…!」
普段ティエリアひとりが暮らす静かな島は、今、明るい笑い声に包まれていた。
ティエリアの担当は食材の準備だ。肉に下味をつけ、野菜を適当な大きさに切りそろえる、それだけの作業でも量が多ければ手間はかかる。
「手伝おうか?」
テーブルとベンチを並べ終わったアレルヤが声をかけたのへ、大丈夫だと即答しようとしてティエリアはすこし思案した。それから、
「そうだな、なら、食器の仕度を頼む」
「了解」
ティエリアが人の好意を素直に受けたことに対してか、それともいちいち計量せずに目分量で調味料を合わせているからか。アレルヤが微笑む気配がして、離れていく。
「ティエリア、こちらは準備ができたが」
「では、そこのトウモロコシとサツマイモから焼きはじめてくれ」
「了解した」
「もーわっかんねえから適当に持ってきたぜ、飲物。気に入らない奴は自分で取りに行ってくれ」
「ちょっとロックオン、なんで僕らみんなビールなんですか!」
「なんでもいいって言ったじゃねえか。バーベキューったらビールに決まってるだろー?」
「知りませんよ!」
「アレルヤ。テントの下の荷物の中に、コーヒーと紅茶のペットボトルがある。冷えてはいないが、氷を入れれば問題ないだろう。持ってきてくれないか」
「なあんだよ刹那、おまえも飲めないクチかあ?」
「飲めないんじゃない、飲まないだけだ」
「パパはいつも、のみすぎっておこられるんだよね」
「ねー」
「だから! そーゆーことを外で口にしちゃいけませんって言ってるでしょ!」
賑やかを通り越して騒がしい雰囲気は、かつての自分なら眉を顰めてさっさと背を向けた類のものだ。ナスとピーマンを切り終えてシイタケの石突きに取りかかりつつ、ティエリアはひっそりと笑う。年月とともに姿が変わっていくかれらと、変わらない自分。それでも、たしかに変わった部分はあるのだと。
同じだけの時間を共有し、同じものを見てきたかれらは、どれだけ離れても繋がっているのだと。
それを確かめたかったのかもしれない、ふと、そう思った。
永遠に続くかに思われた長い戦いにいちおうの幕が引かれ、唯一の目的のためともに戦った仲間たちが別々の方角へ歩きだしたあの日、何かわからない衝動に突き動かされて、ティエリアは咄嗟に提案したのだった。十年後、この島に集まってバーベキューをしよう、と。
ティエリアは食材を切る手を止めて、空を仰いだ。白い入道雲が聳え立つその上に、あの頃とまるで変わらず、珊瑚礁の海を映して高く澄んだ蒼があった。
「そこから、見えていますか。ロックオン・ストラトス」
ちいさなちいさな呟きは、トウモロコシの焼ける匂いと子どもたちのはしゃぎ声に溶けて、消えた。