「あんたでも、そんな眼をすることがあるんだな」
「……え?」
 不意に投じられた抑揚に欠ける声に、思考の淵に沈んでいたロックオンは弾かれたように顔を上げた。
 大きな窓から射し入る金色の夕陽に照らされて、ガラス玉のような一対の目がじっとかれを見おろしていた。思いのほか近くまで接近を許していたことに、愕然とする。まるで気づかなかった。
(それだけ動揺が激しいのか――単に疲れ果てているからか…)
 正直、今は誰とも話したくない。しかし不幸なことに、かれはおとなだった。おとなで、自分より幾つも年若い他のマイスターたちのリーダー格ということに、一応なっていた。目の前の子どものように、感情に任せて煩いと一言で周囲を遮断してしまうような真似はできないのだった。
「何だって」
 訊きかえした声音が常の快活さをすっかり削ぎ落とした素気ない響きになってしまったのは、仕方がない。そこまで平然を装えるほどかれもできた人間ではない。
 ところが、
「――――何でもない」
 せっかく反応してやったというのに、刹那はふいっと横を向いてしまう。……沈黙。
 ロックオンの双眸が険しさを増した。この子どもといるときに沈黙が降るのはそう珍しいことでもなく――刹那はそもそもあまり喋らない――、ロックオンにとってもそれは決して不快な時間ではなかった。だいたい、いちいち気にしていたら刹那と一緒になどいられやしない。
 けれど、普段ならどうということもない静寂が、今は堪らなく鬱陶しかった。
(――鬱陶しい?)
 自分の思考に咄嗟に疑問を抱く。つい先刻まで、自分はむしろ独りきりで過ごす圧倒的な静けさを心地よく感じていたのではなかったか。ゆえにこそ、不用意に近づいてきたこの子どもに腹立たしさをおぼえ、自分の失態に臍を噛んだのではないか。
 刺し貫くまなざしをまるで存在しないもののように、刹那は窓の向こうできらめく海に視軸を固定して、微動だにしない。いったい全体、こいつは何をしに来た? ロックオンは刹那のことばを反芻する。あんたでもそんな眼を。
(……どんな眼だ)
 どのみち、ろくなもんじゃないだろう。荒んだ気持ちでロックオンは小柄な影から視線を引き剥がした。
 一方の壁一面を抜いてつくられた窓いっぱいに、あかく燃える夕映えがひろがっている。大きく西に傾いた日を浴びて無数の波がきらきらと光る。強烈な光は窓の内側にも容赦なく這入りこみ、壁といわず床といわず金と黒の二色に染めわける。かれも、傍らに立つ子どもも。
 とろけてしまいそうだ。
 昨日の日没は、見ていない。まだ、際限なく続く戦闘のただなかにいた。止まぬ砲声と衝撃に歯をくいしばり、ひたひたと嵩を増す絶望に足下から侵食されながら。
 あれは夢だったのではないかと思ってしまうほど、此処は、静かだ。噛みしめた口唇は酷くひびわれていた。
「すこしは寝たのか」
 棘のような苛立ちをどうにかしたくて芸も捻りもない問いを無理やり繰りだすが、
「あんたは」
 案の定、間髪を入れず投げかえされて、ロックオンは努力を放棄する。組んだ膝の上についていた頬杖を解き、どさりとソファに寄りかかった。
 寝付かれないのはお互いさまだ。身体はどろどろに疲れきって休息を欲しているのに、瞼を閉じても一向に睡魔はおとずれなくて、縦にしようが横にしようがお構いなしに余計なことばかりを反復するだけの冴えきった頭をもてあまして、ロックオンも此処にこうしているのだ。
(はじめてひとをころしたときみたいだ)
 アドレナリンの分泌が多すぎて、忘れたい光景すらまざまざと脳裡に描き出せてしまって、どうしようもなかった。
 かれらは世界にたった四人のガンダムマイスターで、だからかれらに対する援軍など来るべくもなく、かれらはそれを承知していた。たとえかれらが斃れてもCBは続く。CBの理念は継承されていく、ガンダムがある限り。だが、かれらマイスターたちは絶対の存在ではない。いつでも代えが利くとまでは言わないが――ならば自分たちがマイスターに選ばれるはずがない――護るべき対象ではない。
 つまり、かれらはみずから方途を見出さねばならなかったのだ。そして、失敗していた。機密保持のために残された手段は限られていて、おのが無力さを思い知ると同時に、たぶん四人ともが終焉を覚悟した。
(これが、世界の答え――――)
 そこへ突然さしのべられた、救いの手。あるはずのなかった掩護は、文字どおり天の高みから与えられた――すでにあきらめてしまっていたかれらに。
 うちのめされた。惨めだった。
(俺たちはこれまで、何のため、に)
 仮にあのまま終われていたなら、深い自嘲とともにささやかな矜持は守られただろうに。ロックオンは口の中で短い呪詛を吐く。
 ことばを発してしまってから、聞き咎められる可能性に思い至って傍らの様子を窺ってみるが、刹那の気配はじっと動かないままだった。立ち尽くし、魅入られたように真っ直ぐ海をみつめている。ますます鮮やかに炎上する空と、水との境界線に、みるみる高度を下げた落陽がついにキスをする様を。
 ロックオンはまぶしげに目を細めた。
 陰翳の濃い横顔はやつれを隠せない。顔色は西日のせいでよくわからないが、決してよくはないだろう。若いとはいえ、たった数時間の休息で―― それも睡眠が取れたとしてだ――回復するようなダメージではない。細くて未熟な子どもの体躯。
 でも、それでも、立っている。
(俺は立ちあがるのさえ億劫なのに)
 そっとしておいて欲しかった。傷を舐めあうような不毛な趣味は持っていない。なのに、ロックオンが意識するより早くかれの右の手が伸びて、華奢な身体の脇に重力に従って無造作に垂れ下がっていた手首を掴んだ。
 ぐいと引き寄せると驚いたような表情がこちらを振り向いて、そこで初めて自分が何をしたのかを知る。腹立たしかったはずの距離に、感じたのは安堵。手の届くところに居てくれて、よかった。
 刹那はよろめいて――いくら体格差があるとはいえ普段ならそんなへまはしないから、やはりかれも疲れているのだ――ロックオンの隣に倒れこむように腰を降ろす。
「ロック、」
 抗議の声はみなまで許さなかった。ロックオンは体勢を立て直そうとする刹那の左の肩に、こつんと額を預けた。刹那がびくりと緊張する。逃げるな、という意思をこめて、捉えた手首を握る指にほんのすこし力をこめた。
 あたたかい。
 額と、グローブ越しの掌と、そしてほとんど密着した半身から、子どもの高い体温が伝わってくる。だんだん馴染んでくる。鼓動が、重なる。
 ああ、生きている。
 ロックオンは肚の底からふかぶかと息を吐いた。他のふたりのマイスターの存在がちらと頭の隅を掠めたが、それよりもすぐそばの温もりの引力のほうが大きかった。
「おまえ…あったかい、な………」
 吐息にのせて呟くと、刹那は幾許かの躊躇いをにじませた後で、観念したように肩の力を抜いた。
「――――――泣くな」
 掴んだ左手が器用にかえされて、逆にロックオンの手を握りなおしてくる。つないだ指。ちょうどはんぶん、熱をわかちあって。ロックオンはきつく目を瞑った。
 泣き方など、もう忘れてしまった。
 祈る神も、喪くした。
 けれど、今だけは。
 金色の光が海に沈んで、残照も消えて、やさしい夜の闇にこの世界が包まれるまで。





――prayer.
16話派生これでも刹ロクと言い張りますよ。
ロッくんだけ本編でまだ泣いてないので泣かしたかったんです。でもロッくんは泣けない人間だったらいいなと思うわけです。涙を流さない慟哭っていいよね!…という話。
20080203