重力が辛い。身体を起こしてまず思ったことはそれだった。手足がまるで自分のものではないような感覚。時間ばかりはあったけれど、ゆっくり休めたとは到底言いがたい。
それでも、帰投直後の泥のような疲労はそれなりに抜けていて、アレルヤは自分の頑丈さを呪うべきかそれとも感謝するべきか、と肩をすくめた。
「こういうときは、少し困るね…ハレルヤ」
外はまだ、暗い。休息も充分ではなかったが、明るくなる前に動き出す必要があった。闇に紛れて軌道エレベーター「天柱」へ移動し、資材の中に四機の――四機も!――ガンダムを忍ばせなくてはならない。
昨日のうちにスメラギから届いた指示は、一両日中のトレミーへの帰還だった。激戦の直後にしては強行軍だが、あるいは重力の小さい宇宙空間のほうがかれらマイスターたちの身体への負担も少ないとの配慮もあるのかもしれない。勿論、かれら四人としても、できるだけ早くスメラギらと合流して状況と対策を協議したかった。
私物といえるものは殆どない。さっさと身支度をととのえて、アレルヤは施設内の共有スペースへ向かう。眠気覚ましにコーヒーの一杯でも飲もうと思ったのだ。
が。
(あれ?)
共有スペースの入口に、非常灯の光を浴びて、知った背中が凍りついたように立ちつくしていた。さらりと肩に流れるつややかな髪と、特徴的なピンク色のカーディガン。
「…ティエリア?」
どうしたの、そんなところで。声をかけしな、何の気なしにひょい、とティエリアの肩越しに室内を覗きこんで、アレルヤは絶句した。月明かりに照らされたソファに、これまた見知った人物が沈没していた――ふたり、肩を寄せ合って。
残りのふたりのマイスター、ロックオンと刹那だ。
「うわあ…」
こんな時でこんな場所でこんな自分たちでなければ、普通にほほえましい光景だった。いつもの鋭敏さが嘘のように、すうすうと熟睡している。兄弟みたいだ、と咄嗟にアレルヤは思う。少し手前で番をするようにじっとしていたハロが音もなくコロコロと転がってきて、アレルヤたちの前で止まると、静かに、と警告するようにちかちか目を瞬かせた。
「よっぽど疲れてたというか…安心したんだろうけれど…」
生きものの体温に安堵をおぼえるのは、人間の生理現象だ。それにしてもすごいな、と素直に感心するアレルヤの斜め右一歩前で、ティエリアの不機嫌は最高潮に達していた。
おもむろに無言でつかつかとハロに歩み寄ると、丸いAIを抱えあげる。ティエリアはあまりハロに構わない。何をするつもりだろうかと、これまた素直に首を傾げたりしていた結果、アレルヤの対応は致命的に遅れた。
「ティエリア?」
かれの呼びかけを無視したティエリアは、次の瞬間、大きく振りかぶったのだ――ハロを。
「ちょ、ティエリア!」
「アーッ!」
「い゛…ッ!?」
叫び声は、三者三様。放物線を描くどころか一直線に宙をかっ飛んだハロは、刹那にもたれかかって眠りの国を旅していたロックオンの側頭部をしたたかに直撃した。ゴツン、と凄まじい音がした。
固い物体を思いきりぶつけられたロックオンは、それでも「何だっ?」と飛び起きるなり臨戦態勢を取って攻撃のもたらされた方角をあやまたず確認し――そのあたりの機敏さと的確さはさすがに一流の狙撃手だ――、そうしてそこに仁王立ちのティエリアと、申し訳なさそうに大きな図体をすくめるアレルヤを発見して、
「あー、え…っと、これは、その…、」
あからさまに狼狽した。薄暗いのでよくはわからないが、きっと顔色をなくしているか、いや、むしろ真っ赤になっているかもしれない。
「時間だ」
ティエリアはあくまで冷ややかに事実を告げる。寄りかかっていたロックオンが跳ね起きたため振動で目覚めた刹那は、
「…二時、か。仕度をしてくる」
ただよう微妙な空気にはまったく頓着せず、時計を確認するとあっさりティエリアの横をすり抜けてその場を去ってしまった。
「お、おい、刹那…!」
ロックオンばかりが焦って、立ち去る刹那の背中と、腕組みをして無表情に自分を睥睨するティエリアと、困惑した苦笑を浮かべるアレルヤの顔とを見比べている。
(そんなに慌てることないのに…)
思わずクスっと笑ってしまったアレルヤを見て、ロックオンはいかにも決まり悪げに眉尻を下げた。
「いや、だから、誤解するなよ? これはただ、」
「時間だ、と言いました」
言い訳は、またしても冷淡かつ容赦ない声に遮られた。う、とロックオンが固まる。
「出発予定時刻まで六百秒を切っています。遅れは許されない。あなたも、早くしてください」
「あ、ああ、そうだ、な、」
反論の余地もなくばっさり切り捨てられて、わたわたと自室に向かう長身の後姿を見送りながら、アレルヤはもういちど、くすっと笑った。ティエリアが不機嫌な顔のまま振りかえる。
「何だ」
「いいや、何でも。…そうだ、コーヒーを入れるけれど、ティエリアも飲むかい?」
「――あと五百三十秒で出発だ」
「インスタントドリップだからすぐだよ。お湯が沸くのに2分かかるとしても、一杯飲む時間くらいはあるでしょう」
まあ、ちょっと慌ただしいのは認めるけど。ティエリアの答えを待たずにアレルヤは簡易キッチンへと向かい、電気ケトルのスイッチを入れる。すこし考えて、カップを四つ用意した。棚からブラジルのドリップパックをやはり四つ出してセットしていると、
「…………もらおう」
背後からティエリアのやっぱり淡々とした返事がようやく届いて、アレルヤは口元にちいさな笑みを浮かべた。
あんなことがあった後でも、こうやって何事もなかったような遣り取りをして、笑うことができる。それが、なんだかとても大事なことのように思えたのだ。