「ロックオン」
「おぅわ…ッ!?」
 声をかけたとたん奇声を上げて二歩ばかり跳び退った最年長のマイスターを、刹那は不審そうに見上げた。
「何だ」
「いや……」
 ロックオンはグローブを嵌めた手で顔の半分を覆い、搾りだすようなため息を吐く。それから、長い指の間から刹那を見下ろし、
「おまえ、さ…」
 やや言いよどんだ。
「何だ、と訊いている」
「…………」
「ロックオン」
 すこし強めに名前を呼んでやると、漸う観念したのか、心底参ったとでも言いたげな表情で手をどける。刹那をまんじりと見下ろした顔が、嫌そうにしかめられた。
「おまえ、気配消してたろう、今」
 そうだったろうか。刹那は内心で首を傾げる。べつに意識してそうしたつもりはないし、その必要もなかった。無論、生い立ちゆえ常人よりは多少その手の特殊技能に長けてはいるけれども、それは目の前の男も同じはずだ。いくら背後から声をかけたといっても、常のロックオンならば自分がこの部屋に入った時点で――あるいはそれより前に――存在を感知するはずだし、あんな過剰な反応はしない。
 つまり、自分が何をしたわけでもない以上、気づかなかったのは向こうの落ち度だ。さっさと結論づけて、刹那はその結論だけを告げた。
「俺は何もしていない。あんたがぼんやりしていただけだろう」
 ロックオンがすっと目を細めた。
 一見いつもの飄々とした態度だが、戦場で否応なく鍛えられた刹那の鋭い五感は、その実かれが本能的な警戒心を必死でコントロールしようとしているのを察知する。理性という理性を働かせて、"普段どおり"を装おうとしている。
 領域(テリトリー)に踏みこまれた野生の獣が、毛を逆立てながらも冷静に相手の様子を窺うように。
 己の命を代価に戦うものの、それは避けられない宿命だ。刹那がかれの立場であればやはり同じ対応をするから、よくわかる。わかるけれども。いや、わかるからこそ。
 じっと黙って見上げてやると、ロックオンは舌打ちとため息を同時につくという器用な真似をして、視線をそらした。伸びた前髪をぐしゃりと掻きあげて呈した苦言は、
「おまえ、間合い近すぎるよ」
 などというもので、刹那はあきれる。日頃、間合いなどという概念をまるきり無視して無造作に自分に接近しては、不要としか思えないコミュニケーションを取ろうとする男の言い種とも思えない。
「あんたに言われたくはない」
 思ったままに言いかえせば、ロックオンの横顔が苦虫を噛み潰したようになった。
「そうじゃなくてな…」
 実際のところ、言いたいことはわかっていた。自分から近づくのと、近づかれるのとでは違うのだ。とくに、自分たちのような人間にとっては。
 不意をつかれるということは、そのまま死を意味するから。
(けれどそれも、いつもあんたがやっていることだ)
 ああ、そうか、と刹那はふと合点した。これはきっと意趣返しというやつだ。
 おそらく自分は潜在意識の下で、ロックオンの普段の自分への接し方に不満を溜めこんでいて、だから先刻あのAIも傍に置かずひとりきりでこちらに背を向けて何やら考えこんでいるらしいかれを見つけたとき、いい機会だと思ったのかもしれない。
 刹那はうすく微笑った。なにかと兄貴風を吹かす男が本気で困惑している様は、なかなかの見物だった。それを自分がもたらしたという事実に、満足する。
 あーだかうーだか低く唸っている――どうやら自身の不覚を責めているようだ――ロックオンの隙を見はからって、一気に距離を詰めた。驚いてこちらを振りかえり、咄嗟に一歩後退しようとするかれの顔に、右手の指を伸ばす。目が合う。唇に触れる。
 次第に落ち着きつつあったロックオンの気配がぴくりと跳ねた。
「俺は、敵じゃない」
 はっきりと、刹那は告げてやる。つよい意思をこめて。
「敵じゃない」
 おまえを傷つけるものではない、と。
 ロックオンはひゅっと息を呑んで、見ひらいた碧翠色の眸をぱちりといちど瞬いた。それから、ゆっくり吐きだす息とともにすうっと緊張をほどいた。
 浮かべた表情は、微苦笑。いつもの。
「わぁってるよ…」
 ―――せつな。やわらかく名を呼ぶ呼気が刹那の指先を一瞬だけあたためて、冷めた。





―――territory.
ナイフ使いの間合いと銃使いの間合い。銃は近づきすぎると性能を生かしきれなくなるから、ロックオンは自分から近づくのは平気だけど不意に距離を詰められて自分の間合いに入られると焦るといいと思う。 しかし私はロックオンにはため息をつかせておけばいいとか思っていやしないだろうか、いやきっと思ってる(自問自答)
20080213