「さて」
アレルヤは腰の後ろできゅっとエプロンの紐を結んで、ロックオンに向き直った。
「何を作りましょうか?」
傍らには、三日前にかれから貰った料理の本。それから、山のような食材。ここは地球の王留美の別荘だ。
ロックオンは困惑した表情で、広々とした、しかし一年の殆どをその機能を眠らせたままであろうキッチンを見渡した。正確には、そのキッチンを埋め尽くすよりどりみどり大量の食材を。
(これ、確実に余るよな……)
基本の食材はもとより、見たこともない形状のおそらくは野菜と推定される物体や、鮮やかを通り越して毒々しい色の果物と思われるものもある。冷蔵庫の中には各種肉類に加えて幾つかの魚も勢ぞろい。調味料や香辛料もこれでもかと並んでいる。
(余るだけじゃなく、ナマモノは確実に腐ると思うんだが…どうすんだ…?)
ふたりを案内したエージェントの少女はただ「お気になさらず」と鷹揚に微笑んで、さらに
「何か足りないものがありましたら何でも申し付けてくださいな。すぐに届けさせますわ」
パーフェクトなホステスぶりを披露したものだ。だから使わなかったぶんは彼女が何とかするだろう、とはアレルヤの弁。そんなかれに密かに敬意を抱くロックオンである。
(この材料の山を見て平然と作る気になれるおまえはすごいぜ、アレルヤ)
善良な一庶民としては、なんとなく申し訳ないというか、何かに謝り倒したい気分にかられる光景なのだが。
事の起こりは、アレルヤがスメラギに相談したことにある。曰く、三日後のロックオンの誕生日にごちそうすることになった、トレミーのキッチンの使用と食材の買いだしに出掛ける許可がほしい、と。スメラギの決断は迅速だった。
「どうせなら、あなたたち地球に降りちゃいなさいな」
王留美に連絡しておくから、場所と調理道具と材料は気にしないでいいわよ、と。その言葉どおり、ふたりが地上に降りると何もかも至れり尽くせりな状況が待っていた、というわけだ。
「ロックオン?」
アレルヤの怪訝そうな声にロックオンは我にかえった。
「ああ、いや、」
「何でもいいですよ。といっても、そんなに難しいものはできませんけど、やってみるぶんにはかまいませんし」
本気で作る気らしい。ここまで来ておいて本気も何もないけれど。
(まあ、せっかくだし…)
そうだな、とロックオンはあらためて食材の海を見渡した。そしてある一箇所に目を留める。――アレルヤにプレゼントした本にレシピは載っていなかったかもしれない。でも、そう難しい手順ではないし、いざとなったらネットで検索すればいい。
自分の出身地が知れる料理はやはり秘匿義務のある個人情報に相当するのだろうか、そんなことを考えたのも一瞬だった。
「作ってほしいものがあるんだ」
そう言ってロックオンが指さしたのは、ポテトの小山だった。
「ちょっと、何よこれー」
突如響いた声にロックオンとアレルヤは文字どおり飛び上がった。ふたりとも料理に夢中で誰かが入ってきたのに気づかなかったのだ。
「スメラギさん!」
「なんであなたがここにいるんですか…!?」
異口同音に問われたスメラギは、にっこりと人の悪い笑みで片目を瞑ってみせた。
「気配に気づかないなんて、マイスター失格よ」
「ほんとほんと!」
スメラギの後ろからひょっこり顔を出したのはクリスだ。フェルトに抱えられたハロが、
「シッカク、ロックン、シッカク!」
と騒ぐ。
「フェルトまで…」
「何してるんです、ここで…」
「私たちだけじゃないわよ。刹那もティエリアも、リヒティもラッセも一緒。もちろん王留美たちもね」
「プトレマイオスは…!?」
「いやあね、イアンが見てくれてるから平気だってば」
かれ、来られなくて残念がってたわよー、とけらけら笑うこの女性が、世界に対して一方的に喧嘩を吹っ掛けた前代未聞の武装組織の戦術予報士だというのだから、恐ろしい。
「って、みんなして降りてきたりして、何してるんですか…」
遊んでる余裕なんかないでしょう、とげんなりするロックオンに、スメラギはきょとんとした顔をし、続いて「やだもう!」と爆笑した。
「あなたのお誕生祝いに決まってるじゃないの!」
「………俺の?」
「そうよ。だからわざわざ王留美に頼んでパーティの会場を貸してもらったんじゃない」
もう準備できてるわよ、とスメラギが示した隣室のテーブルには、いつのまにか白いレースのクロスがかけられ、花が飾られ、やはり白で統一したテーブルウェアにグラスと銀のカトラリが綺麗に並べられて、幾つかのオードブルの皿やシャンパンのボトルも鎮座していた。
「わあ、すごいな」
「アレルヤのときは急だったから、たいしたお祝いできなかったからね。今日は一緒に楽しんで頂戴」
「どうもありがとう」
和やかな会話を聞きながら、ロックオンは呆然とその光景を見つめ、それから視線を水平移動させてキッチンで現在進行中の作業を見た。
深鍋の中でことこと煮えているのは、ラムと野菜がたっぷり入ったアイリッシュシチュー。カウンターの上にはコルカノンとベーコン&アップルマッシュ。熱せられたフライパンではボクスティがこんがりと焼きあがるのを待っていて、冷蔵庫にはデザートのティプシー・ケーキが冷えている。
どれもこれも、アイルランドの伝統的な家庭の味だ。つまり、
(そぐわない……)
王留美プロデュースの上流の香りただようテーブルセッティングに、完全にミスマッチなメニューなのだった。
「………………」
「…迷惑だった…?」
黙りこんでしまったロックオンのすぐ傍でこそりと囁く声に、はっと見下ろせば、ハロをぎゅっと抱きしめて、フェルトが不安そうにかれの長身を振り仰いでいた。ロックオンは苦笑する。
「そうじゃない…そうじゃないんだ、フェルト。すごく嬉しいよ」
自分の肩までしかない少女の頭にぽんと手を乗せて、ロックオンはひそりと笑った。
「で、何なのよこのジャガイモのオンパレード! 誕生日のごちそうだっていうから、楽しみにしてたのに…」
「文句があるなら食べないでください」
「ええ…っ!? ポテトすりおろして焼いたのにシロップかけるの? 何それ信じらんなーい!」
「食べてみてから言って!」
「イモとリンゴ、イモとキャベツを混ぜてサラダにするってアイディアはともかく、全部すり潰す必要はないんじゃないかな、とか…」
「そーゆー料理なの!黙って食え、リヒティ!」
「だいたい何故この俺がこんなくだらないことで地上に降りなければならないんだ」
「俺に訊くなよ!」
「………甘い……」
「そりゃカスタードソースかかってますから、って、ちょ、おい刹那おまえなに勝手にデザート食ってんの、てかそれ酒入ってる…!」
「問題ない」
「大有りだ!」
「まあまあまあ、盛況で何よりですわね」
「あはははは…」
あくまで品よく微笑む王留美に、アレルヤは乾いた笑いをかえした。ロックオンの誕生パーティ兼アレルヤの誕生仕切り直しパーティ、という名目で始まった食事会は、始まるやいなやアイルランド郷土料理の品評会と化していた。
(僕にも責任の一端はあるんだよね…)
そもそも、ロックオンのリクエストはアイリッシュシチューとボクスティだけだったのだ。ところが、限られた食材と手間をかけない調理法でできてしまうアイリッシュ・レシピは面白くて、材料もまだ残っていたので、あれもこれも、とつい調子に乗ってしまった。時間がかからず面倒でなく材料がある、という条件に照らしてメニューを適当に抜粋していったら、ものの見事にポテトばっかりになってしまった、というわけだ。
「おまえらなあ、アイルランドを莫迦にするな!」
「それは少し違う、ロックオン・ストラトス。俺たちはアイルランドを莫迦にしているのではなく、アイルランドの料理を莫迦にしているんだ」
「同じことだろーが!」
行儀などという概念は遠くの棚にすっ飛ばした状態で、ぎゃいのぎゃいのと騒ぎながら、それでも皿は気持ちいいほどのペースで空になっていく。もともとそんなに量を作ったわけではなかったから、王留美の用意したオードブルやサンドイッチも飛ぶようになくなった。
「俺の! 俺の誕生日なんだけど!」
「知ってるわよ」
「だからこうやって祝っているんだろう」
「あんま祝われてる気がしないんですけど…!?」
「ロックン、ビンボークジ、ビンボークジ!」
「ハロは黙ってて…!」
くすくすとフェルトにまで笑われて、ロックオンがよろよろとアレルヤのところまで逃げてくる。
「アレルヤぁ、おまえだけだよ俺に優しいのは…」
「そんなこと言って。いいじゃないですか、楽しくて」
「俺は楽しくない」
「嘘ばっかり」
アイルランドの伝統料理の名を口にしたとき、ロックオンの表情がかすかに歪んだのをアレルヤは見た。それはきっと無意識の反応で、だから咄嗟に気づかなかったふりをしたけれど。母国の家庭の味、に、かれが何を想ったのか想像がつかないわけではなかったから。
きっと、自分たちふたりで食べるより、こうやって大勢でわいわい食べたほうが、よかったのだ。
「ロックオン」
「…ん?」
「お誕生日おめでとうございます」
生まれてきてくれて、僕と出会ってくれて、ありがとう。一言に想いをこめて、傾けたシャンパンのグラスをロックオンのそれにチン、と軽くぶつけると、碧翠色の眸がふわりと笑んだ。
「サンキュ、アレルヤ」