出撃のためコンテナに向かう通路の途中で壁に凭れて腕を組む長身の影を認め、刹那はバーから手を離した。慣性と低重力に従ってふわりと目の前に着地する。
自然な仕種でかれを視界に捉えるシーグリーンの眸は今、ひとつしかない。
「痛むか」
「当分は平気だ。薬を飲んだからな」
答えた声のトーンはいつもとまるで変わらなかった。こんな時でさえ。
そのことに刹那は半分だけ安堵し、残りの半分は腹立たしさを抱く。それから、こんなふうにロックオンとふたりきりで話すのはあの日以来だと気づいた。あの陽射しの眩い南の島で、互いの過去と向き合った日。
わだかまりは解消できても、何もなかったことにはどうしたってできなくて、あれからずっと戸惑いのような何かがロックオンへ向かおうとする刹那の足を引き止めていた。たぶんロックオンのほうも似た状況だったのだろう。付かず離れず、意識しながら普段どおりを装って、薄紗一枚の距離感を維持してきた。
でも、その微妙な隙間は少なくとも今このときには感じられない。
刹那は心に湧いた衝動に素直に身を任せた。無言のまま上げた左手がめざしたのは、ロックオンの右目を覆う眼帯。
傷ついた急所――しかもかれにとっては大事な商売道具だ――に迷いなく向かってくる指に、ロックオンはやや身体をこわばらせたが、一センチほど上体をのけぞらせただけで避けようとはしなかった。
パイロットスーツの指先がざらりと固い感触にふれる。そっとなぞる。無粋な黒。本来ここにあるべき色は、透きとおった珊瑚礁の海のそれだ。あの常夏の島のぐるりを取り巻いてきらきらと煌く碧、でなければ、そう、荒れ果てた赤い大地に突如として恵みの手をさしのべるオアシスの。
「刹那…?」
自分の名を呼ぶロックオンの声はやわらかく、何処かおもしろがっているような気配すら纏っている。
(他人事のように)
刹那は目を細めた。
(こいつが平然としているから、だから、俺は、)
「―――もったいない」
ぽつりと零れた呟きは、飾ることのない本音だった。ひとつだけになってしまった碧翠色がぱちぱちと瞬く。次いで、わらった。
「まだ左が残ってるさ」
そう言うだろうと思っていた。この男なら、どんな酷い手傷を被ろうと何を犠牲にしようと、笑って戦い続けると刹那にはわかっていた。本質的にかれらは同じ生きものだった。戦うために生きていた。
「手も足もなんともないし、引鉄をひく指だって健在だ。いくらだって戦える。戦えるのに戦わないのは、ごめんだな」
シニカルな弧を描く唇は、きっと最期の瞬間までそうやって強がり続けるのに違いない。それでも。
――――願うことは悪いことだろうか?
(ねがう。……何を?)
ふと浮かんだ自身の思考を咀嚼できぬままに、刹那はロックオンのジャケットの襟を掴んで引き寄せる。意図を察してロックオンが腕を解き、身を屈めた。久々のキスは消毒薬の匂いがした。
求めれば、応えてくる。互いのタイミングも傾向もわかっている。これ以上ないほど近くて、なのに果てしなく遠い。それが悔しくて、安心する。依存ではなく、傾倒でもなく。この関係に付ける名を刹那は知らない。知らなくて、いい。
唇を離したその距離で、残された一粒の澄んだ色彩を刹那は間近に覗きこんだ。
「無理はするな」
「そりゃ、こっちの科白だろ」
「違う。おまえの眼の話だ。釘を刺しておかないと、おまえはまた無茶をする。戦うなとは言わない。でも、無理はするな」
苦笑めいてはぐらかすのを許さず畳みかけると、ロックオンは笑みを引っこめた。真顔で刹那を見下ろしたのは、二拍ほどの間。最年長のマイスターはあらためて、にっと笑ってみせた。
「俺は、いいんだ」
「なにがだ」
口元に微笑をまぶし、ロックオンは刹那を抱きとめていた右手を持ち上げる。その親指で、自分の眼を示した。今は眼帯に覆われ隠された、もうひとつのシーグリーンを。
「だって、おまえが憶えててくれるだろ。だから、いいよ」
惜しくはないのだと、いとも簡単に。戦えればそれでいいのだと。
刹那はこそりと息をついて、大きな目を伏せた。ロックオンの襟を掴む指から力が抜ける。代わりに右手のヘルメットを力強く持ち直し、顔を上げた。
「行ってくる」
「おお、行ってこい」
顔の横で右手をひらりと開いて振ってみせる男のひとつしかない眸は、こんな時だというのに生気に満ちて、そして、相変わらず笑っていた。
やはり、もったいない、と刹那は思った。