「なんだそれは」
玄関を開けた刹那の第一声が、それだった。
鋭い視線が黒いグローブの左手に下げられた透明なビニール袋を真っ直ぐ射貫き、次いでそのままの強さで切り裂くように手の持ち主の顔へと上がる。もちろん昨日今日の付き合いではない最年長マイスターがそれくらいで怯むはずもなく、ロックオンはへらりと笑って、
「よう」
元気か刹那、と見ればわかるだろうとしか答えようのない挨拶を寄越してのけた。刹那の疑問を解く気はないらしい――少なくとも今この場では。頭ひとつぶん高い笑顔をたっぷり十秒間凝視してから、刹那は吐息とともにドアを押し開く。
この男が連絡もなしに潜伏先を訪ねてくるのは今に始まった話ではなく、しかもどんな情報源を握っているのか不在の折にぶつかったためしが全くないらしいあたり呆れるが、それ自体は別にいまさらどうこう言う問題ではなかった(どうせ言ったって聞き入れる相手ではない)。来るたびに何かしら手土産めいたものを持参するのも、もはや恒例と化している。
だが通常それは、刹那の生活に不足している(とロックオンが勝手に思っている)食材や日用品や、他愛ない娯楽などだった。今日のかれが持ってきたものはそのどのカテゴリにも属さず、どころか刹那は今の今までかれがそんなものを手にしているところを見たことがない。
リビングまで通したところで刹那はあらためてロックオンへと向き直り、ビニール袋を一瞥してからまた、顔を見た。無言で説明を求められたロックオンは、傍目には涼しい表情で、袋の中のものを出してテーブルに置いた。
明るいオレンジ色の花をこぼれるほどたくさんつけた、ちいさな鉢植え。花のかたちはマーガレットに似ている。
「ディモルフォセカっていうらしいぜ」
「そんなことは聞いていない」
刹那の眦がきつさを増した。わかっているのだろうとロックオンに迫る。花の名前などどうでもいい。刹那が聞きたいのは、なぜロックオンが鉢植えなどを買ってきたかということだ。
かれらが基地にしている南の島のたくましい自然とは違う――ひとの手で庇護されなければ生きてゆかれない、かよわいガーデンプラントなどを。
ところが、自身が相棒と呼ぶAIと同じ色の花を自ら選んだのだろう男は、ちょっと答えに詰まったような、困り顔になった。碧翠の眸が逡巡に泳ぐ。
「来る途中の花屋で見かけて、さ。おまえの部屋、殺風景だからちょうどいいかな、なんて…」
「ミッションが入ればここには暫く戻らない。その間、誰がその鉢植えに水をやるんだ」
刹那は冷ややかに切り捨てる。と同時に、そうと知れない程度に眉をひそめた。
むしろその手の、ガンダムマイスターであるがゆえの都合に敏感に気を回すのは、自分よりロックオンのほうだ。日ごろ人一倍「日常」を重視し大切にするきらいのあるかれがその実、いざというとき始末に困る類の私物をほとんど持たないことを、刹那は知っている。性格からしても、花を枯らしてしまうような行為は不本意と考えそうな男だ。
その違和感こそが、かれがたった今口にした理由が嘘だと告げていた。飄々とした態度の裏に、ロックオンはいつだって何か含むものを隠している。
糾問の手を緩めない刹那にロックオンはますます困惑の色を濃くし、途方に暮れた風情で横を向いた。刹那は目を細めて、何も言わずただじっとその横顔を見上げた。そうすればじきに白旗を掲げることを、知っていた。
「……このへんに公園なかったっけ…」
やがてロックオンは首の後ろを掻きながら、ぽつりと言った。あくまで理由は白状せずに現状の打開を図る心算らしい。無駄な時間稼ぎをと思いつつ、刹那はとりあえず提案に乗ってやる。
「あるが、それがどうした」
「よし」
ロックオンは、にっと唇の両端を上げて刹那を振りかえった。
「植えに行こう」
「正気か」
「もちろん」
「勝手に植えたりして管理局に見咎められないはずがない」
「そんときゃそんときだ」
いいから行こうぜ、刹那。心の裡を読ませない満面の笑みを浮かべ、立てた親指で入ってきたばかりの玄関を示す嘘つき男に、刹那は深いため息とクローゼットへ踏み出した利き足で応えた。
近くのスーパーで小ぶりのスコップを調達して、刹那がロックオンを連れて行ったのは、隠れ家のマンションからやや歩いたところにある運河沿いの公園だった。
水辺を臨む土手の上の桜並木が今まさに満開に咲きこぼれている。
「すげえな……」
ロックオンは呑まれたように暫し、音もなく舞い散る花びらを見つめていた。かと思うと突然、眸に悪戯っぽい生気をひらめかせ、一瞬の緊張の後に右の手でぱっと宙を掴む。左手にぶら下げた鉢植えの袋がガサリと鳴った。
「ほら」
刹那の前でそうっと開いてみせた黒いグローブの掌には、瑕ひとつない薄紅の花弁が一枚。碧い眼が得意げに笑う。普段やたらと年長ぶるわりに、時々いやに子どもじみた仕種を見せる男だった。
「――花を植えるのだろう」
刹那はちらと視線を走らせただけで背を向ける。さっさと土手を降りて行く素っ気なさに、やれやれと言いたげな気配が後を追ってくるが、無視した。妙に浮かれた様子のロックオンに、棘のようなかすかな苛立ちを感じていた。
土手を下りきったところの陽だまりに設けられた花壇の前で、立ち止まる。
「ここ?」
「ああ」
黙って頷いた。よく手入れされた花壇は一部がまだ造成中で、一株くらい割り込ませる余裕は充分にあった。
この花壇を世話しているのは初老の男で、刹那とは顔見知りだ。単にここが刹那のロードワークのコースで、通りがかるたびに男のほうから勝手に挨拶をしてくるというだけの間柄ではあったが。ただ、刹那が見るかぎり、花をとても大事そうに扱う男だった。あの男ならば、知らぬうちに花が増えていたとしても、同じように大事にしてくれるだろうと思えた。
「ここなら大丈夫だ」
根拠を提示せず言い切った刹那に、
「まあ、おまえがそう言うなら」
ロックオンは深く追求はせず、鉢植えを地面に下ろすと片膝をつく。
「刹那、スコップ取ってくれ」
手渡されたスコップで土をおこし、直径十五センチほどのやや深めの穴を穿った。掘り起こしたぶんの土を立てたスコップでざくざくと切るようにほぐす。鼻歌。刹那は黙って傍に立ち、作業を見ていた。庭仕事など縁がなさそうなのに、手際は悪くないようにみえた。
ひととおり土をほぐすと、ロックオンは鉢植えを袋から出し、すこし考えてからグローブを両方とも外した。顕わになった白い手でプラスチックの鉢から花株を丁寧に抜き出すと、根の回りについた土はそのままに穴の中央に立てる。
「こんなもんかな」
独りごち、土を戻そうと伸ばされた手を、刹那は咄嗟にロックオンの肩を掴んで止めた。
「手が汚れる」
ロックオンがきょとんと見上げてくる。
「爪の中に土が入れば、怪我の元にもなる。俺がやる」
言うだけ言って答えを待つことなく、刹那はロックオンを押しのけるように隣に屈みこみ、土を掬った。株の周りを均等に埋めていく。その手元に、風に飛ばされてきた桜の花びらが一片、ふわりと落ちた。
呆気にとられて固まっていたロックオンがふと顔を綻ばせるのがわかった。
「花言葉は<元気>っていうんだってさ。うまくすると来年も咲くらしいぜ。――咲くといいな」
スコップと一緒に買ったペットボトルの水をかけ、花屋でもらった栄養剤を根元に挿して、ロックオンはオレンジ色の花弁を軽く弾くように触れる。それから手についた土を払いながら立ち上がった。
「ロックオン」
刹那も後をおって立ちながら、大きな両の目でロックオンを仰いで「なぜだ」と問うた。なぜ、こんなことをするのか、と。
ロックオンの表情から、感情という感情がすとんと抜け落ちた。
「………花屋で見つけて衝動買いしたってのは、ほんとうだ」
「その動機は」
ロックオンは完全な無表情で刹那を見下ろす。瞬きをふたつ。植えたばかりの花に視線を落とした。引き結んだ唇。また一枚、舞い降りる桜の薄片。
碧翠色の双眸がそっと細められた。
「……………………ないしょ」
長い沈黙の果て、そんな一言だけをかえして、ロックオンは何事もなかったかのように破顔した。
「ついでだからこのまま花見して、どっかで旨いもん食って帰ろうぜ」
この話はこれで終わり。態度で線引きをして伸びをするずるい男は、今日が自分の誕生日であることを自分が気づいていないとでも思っているのだろうか。刹那はいっそ殴り倒したい衝動を、今日何度目かのため息とともに捨てた。
ロックオンがディモルフォセカという花に寄せて、今日のこの日に心の中で何かを思って決めた、それは仮令きっかけが発作的なものだったにしても、間違いなかった。それが何かは、刹那にはわからない。柔軟そうに見えて頑固さでは他のマイスターたちにひけをとらない男だから、こうなったら梃子でも口にすることはないだろう。
ただ、それが何であったにしても、ロックオンが刹那の誕生日に花を贈ろうとした、それだけは事実だった。
刹那はいまいちど、植えたばかりの花を見下ろす。明るいオレンジ色をしたいのちは、燦々と降りそそぐ春の陽射しを浴びて生き生きと輝いて見えた。
「―――行くぞ」
来年も咲くといいな。その言葉だけを胸の中に受けとめて、刹那は踵をかえした。