「お、ちょうどいいところに」
ぽん、と整備主任が投げて寄越したものは、サッカーボールくらいの大きさのオレンジ色の物体だった。形もまんまるで本当にボールのようだ。
「なんだこれ」
受け止めたと同時に、
「ハロ、デス!」
「うわ、喋った…!?」
物体がけっこうなボリュームで音声を発したものだから、ロックオンは咄嗟にそれを宙に放り出す。丸い物体は「ア〜レ〜…」と実にふざけた悲鳴を上げて低重力空間をふわふわ漂流し、再び整備主任の手に拾われた。
「アリガト、イアン、アリガト!」
「おう、とんだ災難だったなハロ」
イアンはボディの一部を耳のように開閉させるボールもどきを一回つるりと撫で、引きつったロックオンの顔を見ておかしそうに笑う。
「おやっさん……なに、それ……」
「独立AIロボットだ」
「コンニチハ、コンニチハ!」
ボールもどきは眼を模したと思しき二つの赤色灯を点滅させて、イアンの手の中で独力でぽんぽん跳ねた。胡乱な目付きでロックオンはイアンと球体AIとやらを交互に見比べる。
「なに、CBのマスコットにでもすんの?」
「はは、こいつはもっとすごいやつさ」
「ハロ、スゴイ、ハロ、スゴイ!」
言葉尻をすかさず捉えて復唱する様子に、たしかに単なるペットロボではないらしい、とロックオンは最初の驚愕から立ち直った頭の隅で認めた。学習速度も反応速度も異常にはやい。コンピュータだのプログラムだのは一通りの知識しか持たないかれにも、CBの技術が世間の常識を軽く吹き飛ばすほど進んでいることはわかる。イアンのニヤニヤ笑いから推察するに、おそらく相当の高機能を搭載しているとみて間違いないだろう、が――。
(なんでまたこんな見た目にしたかね)
ごくごく常識人のロックオンとしては首を傾げざるを得ない。
「ハロ、ってのが名前か?」
「まあこの形式のAIの総称だけどな」
言いながらイアンはロックオンの傍まで来て、今度は手渡しでハロを差し出した。おそるおそる受け取った掌の上、くるりと丸いボディが勝手に回転して、赤い二つの光がロックオンを見上げる。
「オナマエハ?」
「……ロックオン・ストラトス……」
ハロは赤色灯をちかりと光らせ、「ロックオン」と一回繰りかえした。それから、イアンの手の中でそうしたようにボディ上部をパタパタしながら、
「ロックオン、ロックオン。ヨロシク、ヨロシク!」
と言った。自身のコードネームを繰りかえす電子音声に、ロックオンが微妙な顔つきになる。イアンが片目を瞑ってみせた。
「名前を呼ばれるとなかなか可愛いもんだろ?」
「…………」
基本的にロックオンは"生きもの"が好きだ。かつてニールと呼ばれていた子どもの時分、かれの周りにもペットロボを持っている子はいたが、かれは犬や猫や、動物園の獣や野生の栗鼠や野兎など、血の通った動物のほうが可愛いと思ったし、ふかふかの毛皮に頬擦りして命の温もりを抱きしめるのを好んだ。動物は、愛情を注げば注いだだけ、ちゃんと返してくれる。こちらが落ちこんでいれば、さりげなく慰めてもくれる。
だがそれも、十四歳のあの日までのこと。あの日を境に、かれは動物を避けるようになった。決して嫌いになったわけではない。ただ、捨てたのだ。ほかの色々なものと一緒に、復讐に生きる自分には不要のものとして。
あるいは。
いつか喪われると知ってしまった温もりに触れて馴染んでしまうのが怖い、のかもしれなかった。
グローブ越しの掌に伝わるささやかな熱と機械の駆動音にそんなことをぼんやり考えていたロックオンは、イアンの言葉に一気に現実に引き戻された。
「おまえさんの相棒だからな」
「…………は?」
言われたことが呑みこめずに、再び視線がハロとイアンを行き来する。
「狙撃態勢に入ると防御に手が回らないと言っとったろうが」
「…………こいつが?」
呆然と手の内を見下ろすロックオンを責められる者は、世界広しといえどもそうはいないだろう。どれだけ高性能なんだか知らないが、とぼけた愛嬌のある外観はとてもじゃないが戦闘の役に立つようには見えない。
「ハロ、カシコイ、ハロ、エライ。ロックオン、タスケル! ロックオン、ネライウツ!」
不信感丸出しのロックオンに、ハロはちかちかと眼をまたたかせた。それを抗議しているようだと思ってしまって、ロックオンはそんな自分に戸惑う。これはただのロボットだ。精密にプログラムされた二進数の固まりにすぎない。
なのに、信じてもらえなくて不服そうだと一瞬でも解釈するなんて。
「冗談……」
二十年余り積み重ねてきた常識を揺るがす事態の連続に、ロックオンは顔を歪ませて呟いた。研究者たちがもう何世紀もAIに心だの魂だのを持たせようと躍起になっていることはロックオンも知っていたけれど、これっぽっちも信じてはいなかった。マシンに意識があるわけがないではないか。
ハロがぽん、と大きく跳ねたのは、そのときだった。
「ジョーダン、チガウ! ロックオンノバカ!」
「な、」
今度こそロックオンは絶句した。常識を揺るがすどころではない。ありえない。AIというのは人間に忠実に従うよう作られているから、人間に対して反抗的な態度を取るなど、ましてや罵倒するなど絶対にあってはならないことだった。
たっぷり三呼吸ぶん唖然として、続いてロックオンは思わず、本当に思わず、言いかえしていた。
「莫迦だァ!? おま、人間様に向かっていきなり何言って…!」
「ロックオン、バカ! バカ! バカ!」
「くりかえすな!」
目の前の中空にぷかりと浮かんだ球体に向かって拳を振りかざすと、ハロは「アブナイ!」と叫んでひょいと逃げ、
「て……ッ!」
わざわざロックオンの頭の上でごいん、と一回着地してから、今度は壁や床を器用に使って二人の周りをぐるぐる回ってみせる――それこそ、まるで意志のある生きもののように。
「〜〜ンのやろー…」
「コノヤロー、コノヤロー、コノヤロー!」
「勝手にひとの言葉盗んでんじゃねえよ!」
「どんどん憶えてくからなー」
「おやっさん!? いっくら自動学習型ったっておかしいだろこれ!」
「オカシクナイ、オカシクナイ、オカシイ、ハ、ロックオン!」
「てめふざけんな!」
漫才としか見えないやりとりに、イアンは腹を抱えて大爆笑している。
「笑ってねえで何とかしてくれって、おやっさん! 何なんだよこいつ!」
「だから、おまえさんの相棒だって」
「そういうことじゃなくて」
「キュルルーン!」
「きゅるるんてなに!」
イアンは笑いすぎで目尻に滲んだ涙を指で拭いつつ、「早々に仲良くなって何よりだ」とにやりと口の端を上げてみせた。
「仲良くなんかなってねえ!」
ロックオンの反論も年の功でさらりと受け流す。
「デュナメスとの同期確認も必要なプログラミングも済んでるから、連れてっていいぞ」
「連れてく…って、どこに、」
「決まっとる、おまえさんの部屋だ」
「……俺のォ!?」
「一緒に戦う相棒なんだから、意志疎通を密にしてもらわんとな」
頑張れよー。ひらりと片手を振って、イアンは踵をかえした。
「ちょ、おやっさん!」
「まだ整備が残ってんだよ。ハロ、あとは頼んだぞ」
「マカサレタ、マカサレタ!」
さっさと去ってしまったイアンを途方に暮れて見送って、それからロックオンは足元でようやく動きを止めた丸い物体に視線を落とした。ハロは先程までの賑やかさが嘘のように、じっとしている。と思えば、二つの眼が赤くまたたいて、
「ロックオン、ハロ、アイボウ。アイボウ。ヨロシク!」
平坦な電子音声が言った。
(相棒、たって……)
機械相手にどんな態度で接すればいいというのだろう。
「おまえ、つい先刻、俺のことを莫迦呼ばわりしたくせに…」
釈然としないまま呟けば、ウィィン、とかすかにモーター音がしてハロは小首を傾げるようにややボディを傾けた。
(本当にこっちの言ってることを理解してるみたいだ)
眉を寄せ、ロックオンは長身を屈める。人さし指で、つん、とオレンジ色の球体をつついてみると、ハロは「アン!」とふざけた音声を発してゆらゆらと揺れた。
可愛いもんだろ、と笑ったイアンの声がよみがえる。たしかに、可愛くないとは言い難い。
掌を上にしてひらいて、ハロ、と呼べば、球体AIはぴょこんと、いかにも人に馴れた動物のように飛び乗ってきた。
モーターの放熱で温もりはあるが、どこからどう見ても生きものではない、無機物の硬質な手触り。かすかに響く機械音。二進記数法に則って動くプログラム。そのくせ、まるで自我があるかの如く動き、喋る、ロボット。
常識では考えられない、おかしな、ロボット。
「おかしなやつだな、おまえ」
額にあたる部分をもう一度つついたロックオンに、ハロは即座に耳を開閉して抗議した。
「オカシクナイ、オカシクナイ」
ふと、こんなのもいいのかもしれない、と思った。嘘だらけの自分、秘密だらけの組織、夢物語にしたってあまりに莫迦げた理念と目標。そして常識外れのロボットの相棒。案外、相応しいのかもしれない。
(相棒、か―――)
その響きは、家族を喪って以降ずっと独りで戦ってきたかれにとって、驚くほどのくすぐったさをもたらした。
くすっと笑って、額をこつんとハロに押し当てる。
「よろしくな、相棒」
ハロはぱたり、と耳を動かして、応えた。
「クルシュウナイ、クルシュウナイ!」
もったいぶった電子音声の口調に、ロックオンはぶはっと吹き出した。