「ひとは死んだら星になるんだってさ」
まったく唐突に、そんなことを独特のやわらかな響きをしたテナーが低くつぶやいたのだ。
まだ夜明けまでかなり間のあるベッドの中、聞こえた声はすこしばかり掠れていた。仄暗いシーツの上に曖昧な熱の残滓がかすかに蟠っていた。
刹那は寝返りを打って、拳みっつぶんの距離を挟んで隣に寝転がる男へ視線を向けた。
組んだ腕に枕よろしく頭を預けて、ロックオンは真っ直ぐ天井を見上げたまま身じろぎもしない。窓に下がったブラインドの隙間から侵入り込む人工的な地上の光が、殺風景な寝室をどこか海の中を連想させる青白い空間に変えていた。ゆらゆら揺れる陰翳が、南洋の珊瑚礁の彩をとじこめた眸の表情をすっかり覆い隠してしまっている。
餓えた獣さながらに互いを貪ったその前に、ふたり並んで真冬の夜空を仰いで、星座やら神話やらおよそガンダムマイスターに無用な他愛ない雑学をこの男から吹き込まれたことなら、刹那の記憶にも新しい。だが、ロックオンの今しがたの言葉には何がしか、そのときにはなかった屈託があった。
神話というのは大概が荒唐無稽なものだ。クルジスにも神話はあって、幼い刹那も寝物語に聞いた。聞いた、はずだ、たとえ今憶えてはいなくとも。だから、ロックオンが刹那に教えた異国の神話がつまりは単なる御伽噺にすぎないことを、刹那はちゃんと理解している。そしてそれはロックオンのほうも同じだった。悲しい熊の親子や好色な狩人の物語を、かれはあくまで物語として語っていた。
死んだ人間が星になる、というやはり荒唐無稽な思想が、そうした物語のひとつであるのかどうか刹那は知らない。知らないが、それを口にした男の語調は、滔々と神話を語ったときのそれとは確実に違っていた。
どこがどう違うのだろうと考えさして、刹那はやめた。結局のところ、屈託、としか表現のしようがない気がしたからだ。それはいろいろの感情が綯い交ぜになって、それでいてまるで信じてはいないところばかりが一緒だった。
あるいは、聞かせる意図は特にはなかったのかもしれない。こうしてふたり横になってからもうだいぶん経つから、もしかすると背を向けてじっとしていた刹那が寝てしまったと思ってうっかり独語がこぼれただけなのかもしれない。
刹那はあかい両眼をしずかにゆっくりまたたかせた。そういえば、とリビングのテーブルに並んで置き忘れられた二つのマグカップの存在をいまさら思い出した。せっかく淹れたてのミルクティーは、とうに冷めきってしまっただろう。そんなことをぼんやり考えながら待った。黙って、男が弁明するのを待っていた。
けれど、刹那の向ける視線に気づいていないわけもなかろうに、ロックオンはそれきり口を開こうとはしなかったのだ。
やがてもういちどまばたきをして、刹那はちいさな吐息をひとつ、身体を仰向けた。天井には相変わらずひらひらと細波めいた青白い陰翳が揺らめいていた。その影を目で追うともなしに追って、ものすごくくだらないことを聞いたというふうな声音で、言った。
「知り合いでもいるのか」
一拍、虚を衝かれたような間を置いて、テナーがすこし掠れた調子外れでわらった。
「さあ、どれだろ?」
そのあと、男が珍しくもっぺんしようぜなどと年の功で煽ってくるから、それきりその話は立ち消えてしまったのだった。誘うように刹那を引き寄せる男の眸の彩は、やはり曖昧な仄闇に沈んではっきりとは窺えなかった。
否定はしなかったな、と。
思ったのはずっと後のことだ。
そう告白すると、栗色の髪の男は南洋の彩の双眸を細めて、ああ、と笑った。
どうしてそんなことを今になってこの男に打ち明けようと思ったのか、刹那には判然としない。けれども、ああ、と溜息雑じりに笑ったその声の調子が、あのときのロックオン・ストラトスの雰囲気ととてもよく似通っていたから、なんとなく解った気が刹那はした。
かれに煩わしいほどくだらないことと、同じくらい大切なことと、そして一向面倒なことを押しつけるだけ押しつけて、押しつけたきり消えてしまった男が、時折滲ませた屈託。
「そりゃ、エイミーだな」
「エイミー?」
「妹だよ。星座が好きで、神話に詳しかったのは、ちびのエイミーだ」
てっきりロックオン――ニール・ディランディの博識は本好きゆえだと思っていた刹那は、幾分意外な気持ちで男を振りかえった。予測していたかのように苦笑して、かつてライル・ディランディという名しか持っていなかった男は、消えた男のそれとそっくりな翠がかった碧い目に遠くを見る光を浮かべた。
「俺も兄さんも、晴れた日の青空のほうが好きでさ。日によって色が違ったり、雲のかたちが面白かったり、だから俺なんか、いつだったか星空のことばっかり話すエイミーに向かって青空のほうが何万倍もいいって言って、泣かせちまったことがあるくらいだ。――人が死んだら星になるって言ってたのは、エイミーだよ」
「そうか」
喪くしたものの思い出を語る男の横顔には、やはり言いようのない屈託が漂っている。刹那は浅く頷いて、展望室のスクリーンいっぱいに散らばった無数の光点に視軸を戻した。
ほんものの星ではない。あの、東京の高層マンションで並んで見上げた空と違って、展望室の片面を占めるのはガラス窓ではなく光学スクリーンで、そこに見える星たちは外壁カメラのとらえた像を投影しただけの贋物だ。それでも、冥闇に瞬かない星々はたしかに見わたすかぎりの宇宙を埋め尽くしている存在だと感じられた。
眩暈がしそうなほどの星の海。
自らも座標の内を航行する現状において、あのとき地上から指さし教えられた星座を区別して見つけ出すのは、不可能だ。
(おまえは、どこにいる――ロックオン)
おまえの星はどこにある。死んだら、ひとは星になるんだろう。おまえは星になったのだろう?
信じてもいない迷信にかこつけて男の身勝手を喉の奥に詰り、そうして刹那はふいにあの日の男の屈託の正体を悟った。荒唐無稽な言葉をぽつりとつぶやいた声が、懐かしそうな、沈痛な、疲れたような、あきれたような、あきらめたような、焦がれるような、寂しげな、……優しくあたたかなものであった理由を。
星空にあまり興味のなかったというニールという名の少年を想う。それから、さらさらと冬の夜空に幾つものかたちを描いてみせた、二十四歳のロックオン・ストラトスを。
「ニール・ディランディは……」
ぽつりと名を出すと、ライルがこちらを向くのがわかった。
「あいつは、双子座をとても大事にしていた」
南の遠浅の海の色彩が、ちいさく見ひらかれた。次いで、そっか、と伏し目がちに微笑した表情は、ひどく透きとおっていた。