● 春の青山墓地でレッツ花見墓見!
【2005年4月9日】
世間一般行事的響きをこれでもかというほど伴う「お花見」ですら、我々にかかればこんなかんじでした…。
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事の発端は、四月最初の金曜日。『箱館の女王様』の柴宮さんの日記に、「お花見の予定が全然入ってなくてがっかり」という記述がありましたので、半分本気、半分冗談で、「行きましょうか〜」というメッセージを送ってみたところ、見事にナンパに成功!
嬉々として酒を呑みに(アレ?)行ってきました。
しかし問題は、「何処に行くか」ということでして、花見と一口に言いましても、都内にはあちらこちらに名所が散在してますし、東京の月曜以降の天気予報が雨である以上どこも相当の人手が見込まれるわけでして、下手を打つと花見ではなく人見(勝太郎に非ず)になってしまうので、うーん…と考えこんだ葛生さんの脳裡に浮かんだ地名、「青山墓地」。
…いやでもこんなところでまでネタに拘泥するのは幾らなんでも…と迷ったので敢えて私からは言い出さずに、「適当なところご存知じゃないですか〜?」とあたり障りなく訊ねた(相変わらず他人に押しつけるのが得意技)のですが、暫くして返ってきた答えは、「青山霊園は如何ですか?!」(←原文ママイキ)というものでした。(爆)
ナニ、このシンクロ率…!?
…というわけで、ここまでくればもはや神仏の思し召しとしか思えず(いや違うダロ)、待ち合わせは東京メトロ外苑前駅改札に決定。わりとすんなり話が進んだなーと思ってたのですが、やはりそこは葛生さんですから、きっちり罠はありました。外苑前駅には改札が二つあり、どっちかなーと迷ったので、着いてから、電話をかけてみたのですね。で、「今どこですかー」と話しながらふと横をみたら、いらっしゃいましたよ…3メートルほどお隣に…。柴宮さんも気づいてなかったらしく。まったく何やってるのかなこの人たち…!
さて、二十云年東京都民やってますが、葛生さんが青山墓地に足を踏み入れたのはこれが初めて。中央をぶち抜く通りが桜並木になっていて、ちょうど満開で綺麗でした。

墓場で花見というのは一見罰当たりな印象ですが、葛生(仮)家の墓のある多摩墓地もこの時期は墓参りがてらの花見客で賑わいますので(葛生(仮)ファミリーも本日午前中、娘(=葛生さん)を留守番に置き去りにして墓参りという名目の花見に出掛けてました)、それ自体にはあまり違和感はないのです。ないのですが、多摩墓地というのは公園のようになっていて芝生だとかベンチだとかがあるので、墓参ついでにそこで一服、というのはごく自然な気がしていたのですけれども、青山霊園の綺麗に区画整理されたどこからどうみても墓場な通路に、青ビニールを敷いて、どこからどうみても墓参じゃない集団が呑めや歌え(BGMかかってるんだこれが…)の宴を展開していたり、そのためあちこちで通路が臨時封鎖っつーか通行止めになってたりする有様はこう、何というか、「墓参りに来てみたら自分家の墓の前で酒盛りされてたらちと嫌だなあ」とついぼそりとこぼしてしまいたくなる光景でした…。
で、柴宮さんの案内で、まっすぐ圭介のお墓を見に(このあたりで既に「花見」ではない)行ったわけなのですが。
初めての圭介墓参は、どんちゃん騒ぎの兄ちゃんたちを間に挟んでという、何とも微妙な結果になったのでございます…。
うんまあ圭介って酒呑んで騒ぐのは好きそうだし(適塾だから)、それなりにほほえましく少しばかり恨めしく(自分も呑みたいから)見守っていてくれそうだなとも思いますが(或いはちゃんと自前で酒用意して手酌で呑んでそうだ)。
で、その圭介のお墓は、墓石が下部三分の一くらいのところでヒビが入ったのか折れたのか、黒く接着されてました。青山霊園はさすが歴史が長いだけあって、倒壊を防ぐために立入り禁止になってたり付近の木に綱で結わえてあったりする古いお墓が沢山あり、圭介の墓もその手の処置だと思われます。んが、中には明らかに建てかえられてる墓石もあり、ざっと見たところでは、くっつけてあるお墓というのは他に見ませんでした。…そんなところも圭介っぽくていいなとか、相変わらずの壊れっぷりを呈していた葛生さんです。(会津で素性はバレてるからもう怖いものなし←恥を知れ)
あ、写真もちゃんと(?)撮ってきたんですが、いちおう人様のお墓ですので、公開は控えます。

このあとは暫くまともに桜見物をしつつ散策。副島種臣とか後藤象二郎とか川路利良とか、思わぬところで知った名前に出会うので、おお…!といちいち騒いでしまいます。(副島さんのお墓は不可思議なデザインで、川路さんのお墓(だと思う…)は、「大警視川路君」となってました。…かわじくん…。)
そのなかで、私的ヒットだったものがふたつ。
ひとつが、「海軍中佐贈正四位廣瀬武夫墓」。
柴宮さんが発見なさいまして、「何かあの名前知ってる気がするんですけど…」と言われ、ふと思い出したのが、以前『鳥飯』に書いた、小池光の短歌でした。そう、「夏の葉桜つらぬき差せる日のひかり広瀬武夫の墓、大鳥圭介の墓」というやつです。
もし没年が日露戦争の年だったら間違いない、と墓石の裏にまわるも、古いものなので刻んである字が殆ど読めない。かろうじて日付らしきものを拾い読んだはいいが、今度はふたりして、「で、日露戦争って何年でしたっけ…?」と心許ない(むしろ日本人として恥ずかしい)ことこの上なし。それでも目を凝らして読みにくい字を追った結果、どうやら部下を探してたらしいことや、軍神という言葉を拾うことに成功しまして、よって確信いたしました。次郎と六三の柔道仲間で、ロシアで鴻ちゃん(と思われる「大鳥さんの子ども」)の写真を自慢してくれちゃった広瀬さんに間違いありません。
なんだ、前に調べたときは広瀬の墓は故郷にあるって書かれてたからそれきり調べなかったけど、分骨かなんかだったのか、ちゃんと東京に、それも圭介と同じ青山に、お墓があったんですね。それで一瞬納得しかけたんですが、でもちょっと待ってよ?
こんだけ著名人が大勢眠ってる墓地(俗に400人と言われてますな)で、別に隣近所でもなく、区画もまるで違うところにあって、別にデザインも死亡年も死に方も被らない二つの墓を、なんでまた一緒に詠んだんだ…?
てなわけで、結局、疑問点が解決したわけじゃなかった、というのが、また我々らしいというか圭介らしいというか。
さて、お次がこちら、「安藤太郎・文子の墓」。
散策中に目に飛びこんできた名前でした。が、安藤太郎ってわりとどこにでもいそうな名前(酷い…)ですし、墓石がわりと新しげだったので、うーん…と迷いながら、通り過ぎがてら「まさかでも違いますよねえ」と柴宮さんに振ってみますと、「……でも、生年が弘化三年とか書いてありますけど…」と、墓石の側面を読み上げてくださる。裏手から近づいてみると、亡くなった年はふたりとも大正で、更に反対側の側面には奥さんの生年が嘉永と彫ってある。「時代がここまで一致してるんだからあの安藤さんっぽくないですかー?」(←ふたり揃って海軍にはあまり詳しくなく、奥さんの名前なんか憶えてない;;)と言った矢先、見つけてしまいました。墓石の向こう側の碑に、「日本禁酒同盟」の文字を…。
禁酒っていったらやっぱ安藤さんじゃん…!と一気に盛りあがり、表側にまわってみれば、碑の正面にはでかでかと誇らしげに、「The
Father of Prohibition 大日本禁酒爺」と刻まれておりました。
…だいにほんきんしゅじじい……?(爆)

浅学にして知らなかったのですが、安藤記念教会というのがあるのですね。お墓が新しいのはここが大事に管理してるからなのでしょう。クリスチャンの安藤さんが自宅と全財産を捧げて設立したもの(教会の説明による)で、写真を見てみたら石造りの素敵な教会です。麻布十番にあるのですって。今度行ってみよう。
ぶらぶら歩き回って少し草臥れたので、黒田清隆のお墓を最後に見物(…)に行き、(黒田の墓は比較的静かなエリアにあったので(単に周囲に桜がないから)、「大鳥さぁンとこは賑やかで羨ましか〜」とか指を咥えて言ってそうだとか、また阿呆なことを抜かしつつ、)花見ならぬ途中からすっかり墓見(罰当たりな…)と成り果てていた散策を終了。お互いの帰路を考えて、飯田橋まで出て呑むことにいたしました。
…と、提案したのは私でして、前の職場で飯田橋・神楽坂近辺をたまに利用していたので、店がいろいろあることは知ってたのですね。それで、二年ほど前にかつての同僚に連れてってもらった店が、焼酎の品揃えが圧巻だったので、そこへ行こうと思ったのですんが。
その当時、焼酎は葛生さんには呑めない酒だったので(アルコール度数とかじゃなく味が苦手でした)、ろくに店の名前もチェックせず、なんとなく憶えてる(とその時は思っていた)道を辿って行って……案の定見つけられませんでした(汗)
幾つか検討した後、適当に見繕った店に入りまして、結果的には食事も酒も旨かったし店の雰囲気も良かったし呑み食い散らかした割にはお代も真っ当で、いつものことながら終わりよければ総て良しといういい加減極まりない結論に達するわけですが。
今回は飲食店内という公的な場所だったために、然程はっちゃけた話題にはならなかった…はず…です…。(ですよね柴宮さん…!?) 焼酎三杯+スコッチ一杯、ぜんぶストレート+チェイサーで呑みましたが、4時間かけてだったのでペースとしてはゆっくりなほうですしね。危ういネタとしては、海外日本マンガ・同人輸出事情(葛生さんが仕事でつい先日まで捏ね繰り回してたネタ)とか、英語801SSの翻訳経験談(葛生さんが在英時に出来心で試みた過去の汚点)とか、最近葛生さんとこによく来る迷惑メールが「愛に餓えた人妻紹介します」だったり「Don't
you wanna be Magnum?」だったりするという話とか、戦国男色事情(昔取った杵柄)とか、その程度でしたよ。(充分ヤバイだろう)
そんなかんじで非常に楽しく時を過ごし、いい気持ちで帰宅の途に着きました。
柴宮さんどうも有難うございました〜♪
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