● 憲政記念館日露特別展でガタ祭り。

【2005年6月4日】



5月17日付の日記で葛生さんがぼそりと呟いた、
「憲政記念館(永田町)にて開催の『明治の外交と議会政治特別展―日露講和100年―』に、葛生さんと一緒に行ってくださる心の広い方を募集…したいのですけど、その前に自分自身が行かれるかどうかが微妙だったりして(汗) お心の広い方は取り敢えず葛生にメールを送ってみるといいかもしれない。どうせ葛生さんてば明治オンチだけど。日露の知識なんて小学生レベルだけど。」(一部抜粋ながら原文ママ)
…という、凄まじくいい加減なお誘いに、『ギミックフラワー』の久瀬由哉さまが心優しくも名乗りをあげてくださったので、ほいほいとご一緒していただいてまいりました。
待ち合わせは地下鉄永田町駅。…大学四年の正月に国会図書館に来て以来ですよ。(←年末に一度来たら必要な資料が正月明け6日にならないと入手できないというオチが判明し、提出が10日だったので涙目になりながら連日徹夜をしたという素敵イヤな思い出つき)
無料展示だし、一時間つぶせるかどうか…と、思っていたのですが。待ち合わせたのが午後二時、で。出てきたのは午後四時半近く、でした…。
何にそんなに盛り上がっていたのかというと、主にガタ関連だったような気がします。長州もお好きな久瀬さんはともかく、葛生さんなんて長州の知識は通り一遍すらもないくせにな…。


特別展のテーマは要するに『日露戦争とその時代』ということで、日清戦争〜日露戦争〜明治天皇崩御、の日本の外交関係とそれに纏わる国内情勢を俯瞰していました。で、入ってすぐのところに日清戦争〜の年表パネルがありまして、日清戦争勃発の部分を指して久瀬さん曰く、「このへん剥がすと大鳥さんの名前が出てこないかな!
あはははは、まさかー、と笑い飛ばしつつ、そっと日清戦争勃発の部分の文字を撫でてみた葛生さんです。←勿論なにも仕掛けはありませんでしたけど…ちっ!(こらこら)
展示品は、書状関係がいちばん多かったです。伊藤とガタと桂太郎の関連がやたら多い。桂太郎の手蹟は一字一字がでかくて「紙の無駄」とか思わず呟いてしまいます。立憲政友会規約草案に伊藤が校正をかけたものは、「読みにくいよ!」と私と久瀬さんの双方から即☆没の評価。林董から伊藤への手紙には、表書きにでかでかと「極秘」と書いてあるのが思っきし晒されてました(笑)


最初のうちはそれでも真面目に(…↑のどこが?)見学していたのが、おかしな方向へ突進しはじめたきっかけは、無隣庵(ガタの別荘)でのガタと伊藤の写真が出てきたあたりでした。どうしてもこの名前、「隣には誰も居ない」と、読んでしまいがちでして…(笑)
その後、どこだかの会合での6、7名の集合写真で、左から三番目に座るガタの両脇だけが、何だか他の椅子より距離が空いてるっぽい(そしてガタの表情はどこか虚ろだった)のが決定打となり。(写真撮る直前に、椅子をずざざっと移動されて、立ち直る間もなく撮られたんだ…とかシチュエーションを捏造☆)
以降、ガタの紹介文に出くわすたびに、いちばん最後に「でも友だちは居ない。」と付け加えては笑いを噛み殺してました。(ていうか噛み殺しきれてなかったヨ)←莫迦


それからはもう、ひたすら展示をおちょくる我々。他の見学者の方々が主として年配のご夫婦だったり、恐らく政治・議会関連の長老系っぽい人たちだったりしたので、かーなり浮いてたと思われます。反省…。
他におちょくられたのは、以下のような展示品です。

・ 絵では小村寿太郎とウィッテの体格差があまりないのだけれど、写真とかコートを見るとやっぱりちっちゃい。でも、たぶん圭介のがもっとちっちゃい
・ 小村が東京開成学校でグリフィス(アメリカ人教師)に提出したという長文レポート(自叙伝)は、なかなかどうして立派なもの。英語が綺麗だし、文法もちゃんとしてるし、グリフィス先生が絶賛したというのも納得。なんだけど、これが世に出た経緯というのが、講和全権委員のアメリカ到着を報じるニューヨークタイムズの紙面にグリフィス先生が(おそらくは勝手に)寄稿した…というのが…。
・ 大山巌の経歴紹介、「江川塾で砲術を学ぶ」。"江川塾で"と"砲術を"の間に、「大鳥圭介に」を赤ペンで挿入しないと…!と葛生さんが主張。
・ 児玉源太郎の紹介文にあった、「大山の妻捨松」の前に、「元会津家老山川浩の妹」を付箋で貼り付けねば…!と久瀬さん。
・ その捨松の語る大山の好物ベスト3、「一番が児玉さんで二番目が私、三番目がビーフステーキ。ステーキには勝てたけれど、児玉さんには負けます。」に対して葛生さんが一言、「何でおれの妹が二番目なんだっ!…て、怒り心頭の山川が化けて出てきちゃうよ。」
・ それに対する久瀬さんの返答、「大丈夫ですよ、大山はきっと気付きませんから!」
・ 日露戦争の錦絵に、「どこまで本当なんだかねえ…!」と暴言。
・ 高橋是清の諸軸、「元気でやれば何でも出来る」に、何故かやたらとウケる葛生さん。
・ 日活が総力をあげてつくったらしい、映画ポスター「軍神広瀬中佐」。全六巻で伴奏は琵琶。これでもかというほど威勢のよい(むしろ有り得ない)煽り文句と、学校時代〜戦死までの「主なシーン」のタイトル紹介。「……『柔道の練習』とかってシーンはないのか…。」(by 葛生)←広瀬武夫は大鳥さんの子ども・次郎、六三の柔道仲間。
・ 当時の政財界の人物番付。横綱は空席で、東西両大関は、伊藤と大隈。伊藤のことを生涯(たぶん一方的に)ライバル視していた大隈さん、本望だろう。でも、その理由は「やっぱり日本一」というよくわからないもの。…何が?何が日本一なの?も、もしかしてバk(以下略)
・ 番付表の注意書きには、「文句があったら連絡寄越せ」「ただし順番への注文は受け付けねーぞ!」「ていうか右肩に書いてある理由をよく読めや!」という意味の三箇条が書かれてます。
・ 気になるガタの「理由」は、「喋っても威張っても」。…「も」、なんなの…!?(ひとりぼっち、とか…?笑)
・ 結構かわいそうな「理由」な人が多い。「女と博打で失敗」とか。伊藤も確か色が云々だったし。谷さんなんか、熊本の話しかないのか!って書かれ方だったし。
・ 伊東巳代治の「今頃は何処で何をしておいでやら」というのには大笑い。
・ さんざん笑いの種にした揚句、久瀬さんと口を揃えて「も少し前の時代のはないんですかねえ。
・ 末松謙澄よりガタ宛て書状、イギリスの新聞の切り抜きを貼って、現地報道の様子を伝えている…が、新聞の切り抜き方がものすごく雑
・ 講和の内容を知った民衆の焼き打ちのシーンを描いた「すかし絵葉書」。ふつうの風景を光に透かすと、燃え上がる街の景色が浮かび上がる仕掛け。よくできてはいるのだが、どうにも無駄なところに凝ったという印象が否めず。
・ 日露反戦を掲げて創刊し、やがて弾圧に抗しきれず終刊となった平民新聞(堺利彦・幸徳秋水)最終号、マルクスの「新ライン新聞」終刊の例に倣い、全面赤刷りにして抗議の意を表明。主張はともかく、読者にはただ読み難いだけなんじゃ…。
・ その幸徳が、監視の目を潜って手紙等をやりとりするために考え出した暗号の表。例を読んでも意味不明。本当にこれで意思疎通が出来たのか…?
・ 当時の東京の地図、「東京市全図」。「麹町邑」「京橋邑」とか、全部「邑」なんですが…。
・ 与謝野晶子ら文学者関連も登場。その流れで登場した森鴎外。ついつい、「名付けのセンスはなかったですけどねえ。ま、大鳥さんも他人のこと言えませんが。」(by 葛生)「山川のほうが酷いですよ。」(by 久瀬さん)


そんなかんじで、最終的にはやはり圭介と山川に落ち着いたわけです。(何展を見に行ったのこの人たち?
でも、これでガタの出番が終わったわけではなく。(笑)
憲政記念館を出たあと、折角なので〜と一時間半ほどお茶をしたのですが、そこでもガタは散々に弄られ可愛がられてました♪ あと、圭介話もしましたが。葛生さん、自分で調べる余裕が殆どないのでうっちゃらかしてますが、最近長州に目覚めつつあるので、解説っぽいこともしていただいたり。史料漁りやSS書きの苦労話をしたり。
新撰組〜箱館〜明治、と、久瀬さんとはお話の合う時代が長いので、幾ら時間があっても足りないほどバラエティに富んだネタを広く深く楽しめました。
どうも有難うございました…!(そしてまた宜しく…。ククク…)





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