● 初冬の函館、歩け歩けツアー!


【1日目 : 羽田で6時間過ごしちゃったよ。の巻】

 ※写真にマウスオーバーで簡単なキャプションが出ます。


● 碧血碑

…そんなこんなで函館到着は2時過ぎ、宿にチェックインして散策の準備を整えたらもう、3時でした。日没まであと1時間半…! ほんとにもう、何のタイムリミットゲームなんだかな!(いや私は自業自得なんですがね、ええ)
取るものもとりあえず宿を飛び出して、向かった先は、いざ、碧血碑。日が暮れるとあそこは真っ暗なのでもう、間に合うかどうかドキドキでした。

…の割には、宿からのんびり海岸沿いを徒歩で向かってたりする、いまいち危機感の足りない我々。宿から少し歩くともうそこは津軽海峡、という誘惑には勝てなかったのでございます。海って、見ると何だか「海だ――!」って思いません?(笑)
海沿いから見る函館山というのも、なかなかオツな眺めでした。「あっちが立待岬で、あのへんの木々の中に碧血碑があって…」と指さし説明しつつ、住吉漁港を経て谷地頭へ。…向かう途中で、何やら素敵なものを見つけました。
このあたり、普通の民家が漬物にするため大根を庭先に干しているのですが。物干し台を使っているところもあれば、フェンスやベランダの手すりにぶらさげているものもある。漁港が近いとあって、干物なんかも作っていて、「おお、味のある風景だねえ」などと楽しんでいたところ。
その光景に、思わず足が止まりました。どうしようかと思いました。一瞬の沈黙に続き、文字どおり爆笑。
やっぱり函館って大好きだなあと思いました★→→→コレ。

和んだ後はまた、碧血碑めざして歩きます。谷地頭の電停を過ぎると、ぐんぐん道が急な登りになっていきます。
本当は碧血碑には谷地頭の電停から函館八幡宮経由で行くと近いのですが、私の拘りから、函館市青少年研修センター裏を回るルートで行きました。こちらから行くと、散策道がまるで参道のように綺麗に整えられていて、案内板もあってよいかんじなのです。ちょうど紅葉の季節で、すっかり秋山散策で気持ちよかったです。
……ただし、カラスの恐怖を除けば…。
(いや、本当に凄かったんですよ、「お山のおうちに帰るカラスの大群」が。があがあギャアギャア喧しいし。私がうっかり「七つの子」を歌ったら、織方さん曰く、「子ども7匹じゃ済まないですよコレ!」(笑) 谷地頭の電停そばの電線に、雀の群れよろしくずらりとカラスが止まった光景は、ヒッチコックの『鳥』を彷彿させる薄ら寒く微妙な光景でした…。
よくあることですが、端折り方が凄い。
  ↑碧血碑入口。奥に見える案内板が、↑です。

どうせならどうやって注意したらいいのかまで書いてくれよ。
←そして、カラスの恐怖…。
 いったい何をどのように注意すればよいというのか。
 「落石注意」と同じくらい、如何ともし難い但し書きだと思う。





夕闇迫る碧血碑。…時間との戦い…。

で、肝心の碧血碑でございますが。無事、日没前に到着いたしました―――かろうじて。(…)

碧血碑への訪問は2度目だったのですけれども、やっぱり胸にじーんとくるものがありました。
実は個人的に、史跡としては函館でいちばん印象深い場所かもです。 たとえ五稜郭に寄る時間がなくても、碧血碑にだけは寄りたいくらい。
別に圭介が揮毫したかもしれないから、とかではなくてね。ここは、あの戦争で生き残った人たち、もしかしたら「死に損ねた」人たちが、共に戦い命を落とした総ての同胞に対する様々な深い想いの丈をこめた場所、なんだよなあと思ったら、もう否応なく涙が出てきてしまいまして。
初めて来たときにも思ったことですが、やっぱりここは、私にはとてもとても大切な場所だなあと。他の何処へ行っても(不謹慎な私は)その場所を茶化すようなことをつい口にしてしまうけれども、この場所でだけはそれはできないなあと。
そんなことを思いながら、暫し夕闇迫る「聖地」でしんみりと立ち尽くしていたのでした。
(頭上じゃ相変わらずカラスが煩かったけどな!)(結局茶化してんじゃねーか…)




● 函館山

暗くなり始めたので、後ろ髪を引かれつつ碧血碑を後にして、八幡宮を経て谷地頭電停へ。
…ところが目の前で市電に逃げられてしまい(走ったのに…っ)、どうせだから函館公園経由でロープウェー乗り場まで歩くことにしました。コンパクトな観光地はこういうところが便利ですね!(をい)
もうこの時点で辺りは真っ暗。本当は函館山には昼間登って、山頂から五稜郭との距離を確認したり、七重浜や茂辺地方面の眺望を楽しむ予定だったのに、またも夜景になっちゃいました。(自業自得です葛生さんの場合は。織方さんには実に申し訳なかった…汗。)
新タワーは判りやすい!
ただ、新しくなった五稜郭タワーは夜でもハッキリくっきり簡単に場所が判ったので助かりました。旧タワーで夜景を見た時にはすごく判りにくかったのに。たぶん高さだけでなくて、明るさもパワーアップしたんでしょうね。織方さんにちゃんと一本木経由・箱館市街までのルートを説明できたので、ちょっとほっとしました。七重浜方面は…さすがに海岸線しかわかりませんでしたが…。
おかしかったのは、2人揃って、観光客の群がる正面の夜景もそこそこに真裏の山並をチェックしに行ったことでしょうか。要するに、「了介の山越えルートはどれだ?」…ということなんですけど。
ものの資料によれば、了介率いる官軍は山頂を越えたことになってるんですけど、いちばん高いロープウェーの山頂(御殿山)の裏側には入江山とつつじ山という2つの山が連なっていまして、等高線の幅からして、どう考えても大砲引きずって登れるルートには見えないんです…。寒川という集落は廃村になっていて、現在の地図からは道のようなものは見つからないし。山崎有信氏が大正5年にまとめた資料だと、どうやらつつじ山付近へ登ってきて、御殿山の左右から市街地に攻め込んだみたいなのですが、……写真で見ても到底、人間が登る場所ではない。もしかして本気で道なき山肌を登ったのか了介…?
で、実際に(暗闇を透かしてではありますが)そちら方面を見て…、
「む、無理だ…。」 
異口同音に呟く我々。実際、人が登ってこれる道には思えませんでした。何かもう、これを越えられた以上はもう負けたっていいと思う。いっそ負けたほうが人間として正しいと思う。付き合わされた官軍兵士たちが気の毒になりましたことです…。(え、私けっこう了介は好きですよ?)(にっこり)

そうこうするうち、気づけばあっという間に1時間(!)が経過。
真っ暗闇でも妄想と一緒なら何時間でも過ごせそうな気分ではありましたが、この日、函館の最高気温は14度で、山の上は相変わらず風が強かったので、そのころになると寒さで指がかじかんできてしまい、仕方ないのでおとなしく下に降りることに。
降りた後はベイエリアの居酒屋で酒と肴に舌鼓を打つ。ほっけと塩辛が最高においしかったです。向かいの席が東京から2人連れのおばさま方で、面白い方たちでした。池袋は東京じゃないそうですよ。(笑)
2杯ですっかりいい気分になったのでぶらぶら散歩しつつ帰宿。函館はこの「歩いて行って帰ってこられる」感がとてもお気に入りで、宿はいっつもベイエリア徒歩圏内に確保してしまいます。今回は値段優先でユース宿泊だったのですが、部屋は狭いけど全体にとてもきれいなユースでした。ラウンジのノートがめちゃくちゃ面白かった。もし行かれる方がいらしたら、今年の9月の書き込みを確認してみてください。とても天晴な文章を書かれる方がいらっしゃいます。京都から「軽やかに登場しちゃいましたよ?」な方です。来年就職だそうですが、第一希望の会社には「祈られちゃった」のでとっても驚いたそうです。恐らく「断られちゃった」と書きたかったのだと思われます。何ともいえないリズムの文章をお書きになる方で、いやもう腹が捩れるほど笑いました。内定した会社はけっこうな有名どころなんですが…だ、大丈夫か、某N社。「世界なれN社!」とか言われちゃってるけど……本っ当に大丈夫か…?(笑死)

そんなかんじで盛り上がるうち夜も更けて気づけば時計は1時を回り、明日はドライブなので慌ててベッドに潜り込んだ我々なのでありました。



<続き…はもう少しお待ち下され。>

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