朝から、刹那の姿を見ない。
 もともと同じ空間で寝起きしていたって一緒に食卓を囲むどころか、ミッション上の必要がなければ会話すらろくに成り立たない個人主義の集団だ。だが、もう昼近くになろうというのに一度も見かけないというのは、いくら刹那が単独行動を好むといっても、妙だった。
(避けられてるな、こりゃ)
 ロックオンは頭を掻く。昨日の今日では仕方ないとも思うが。
 実際、ロックオンだって気まずいのだ。むしろ、大人気なくぶち切れてしまったぶん、自分の方が決まりの悪さでは勝るのではなかろうか。
 しかし気まずいからこそ、わだかまりの芽は早期に摘んでしまわなければならない。年長者であり、何の因果かリーダー役なぞを任されている以上、自分が率先して解決に動くべきだとロックオンはわかっていた。それに、今朝からもう幾度となくティエリアの視線に何とかしろと無言の圧力をかけられていて、いいかげん居心地もよろしくないのだ。
 エクシアの傍に居ないということは外だろう、と判断してベースを出る。引き続き待機を命じられている身だから、そう遠くには行っていないはず。まず最初にここ数日かれが居ることの多かった浜辺を覗いて、姿がないのを確認してから島の大部分を覆う森に足を向けた。
 もともと無人島なだけに、少し分け入るとそこはもう手付かずの自然だ。ここに来るまで聞いたこともなかった鳥の囀り、鬱蒼とした下生えの中や潅木の枝にはときどき原色の花や実が揺れている。地面は常に充分に雨水を蓄えて、ひんやりとみずみずしい。
 ロックオンが生まれ育つ過程で慣れ親しんだ自然界とは異なる、原始的な命の躍動がそこにはあった。これもまた、地球の顔なのだ。木漏れ日がちらちら踊る原生林の中を泳ぐように、ロックオンは癖の強い黒髪の子どもを捜して歩く。
 捜し出してその後どうするかは、実のところはっきり決まっているわけではなかったけれど。
 どうやらかれのお気に召しているらしい清流の辺には居なかった。島の中央に聳えるツタの絡まった巨木はロックオンの気に入りで、ついでとばかりにかれには入りこめない幹の空洞も覗きこんでみるが、もちろん姿はない。森を抜けた反対側、ちいさな蟹が獲れる入り江もハズレ。さて、何処へ行ったのやら。
 なにしろ小さな島だ。ややもせずロックオンはぐるりと島を一周して、最初の浜辺に帰ってきてしまった。そこで、おや、と片眉を上げた。
 昨夜ロックオンがもたれていた流木に腰をおろして、刹那はいた。先刻はたしかにいなかった。もしかしたらロックオンが森の中に入っていくのを確認して、砂浜に移動したのかもしれなかった。
 既視感。やはりそうやって座って海を見ていた――ずいぶん昔のように思えるそれは、つい昨日のことだ。ロックオンは目を細めた。明るい陽光に白い砂浜の照り返しが眩しいばかりではない自覚はあった。
 二呼吸分の躊躇いを振り切って、砂地に踏み入る。気配を殺すようなことはせず、さく、さく、と軽い足音を立てて薄い背中へと近づいた。どうせこのタイミングでは刹那は逃げられない。
 肩のあたりにわずかばかりの緊張を滲ませはしたものの、刹那は頑なに海の方角を向いて動かなかった。少し手前で立ち止まり、ロックオンは名を呼ぶ。昨日知ったばかりのかれの本名ではなく、ずっと呼んできたツクリモノの名で。
 一瞬の間をおいて、何だ、と刹那が振りかえった。
 相変わらず感情の欠落した喋り方だ。動揺を微塵も見せないとは、まったくもって可愛げがない。けれどロックオンは、そうやって虚勢を張ることでしか自分を守れなかったのであろう子どもの死に物狂いの航跡を、そこに垣間見る。
 哀れだとは、思いたくなかった。刹那を哀れむことは、そのまま自分を哀れむことに繋がる。過去に囚われてはいても、そんな惨めな真似だけはしたくなかった。戦う道を択んだかつての自分を否定するようなことだけは。
 声をかけたきり黙ってしまったロックオンを刹那はしばらく座ったまま見上げていたが、ふと大きな目を伏せて立ちあがり、ロックオンの目の前までゆっくり歩いてきた。一メートルの距離を置いて相対すると、あらためてロックオンと視線を合わせる。
「話があるんだろう」
「…ああ」
「昨日の続きか」
「……そうだ」
「…わかった。聞こう」
 逃げ回っていたとは思えない、落ち着いた態度だった。昨日散々自分を苛んだあの眼だ、とロックオンは思う。静かに断罪を待つまなざし。
 大きく息を吸って、吐き出した。ざわつく心を宥めて、何から話そうか、と思案する。話さなくてはならないことがたくさんあるような気がした。一方で、何も話す必要などないとも思えた。
 海に目を転じる。碧い。どこまでも碧く続いて、そのまま空へのぼっていく。その空を切り裂いて進む、異色の青をロックオンは知っている。ただひとつの目的を見据えて迷いなく前進する、そのいろ。
 燦々とふりそそぐ陽射しがあたたかい。
 せつな、と、もういちど呼んでみれば、初めは違和感しかおぼえなかった異国の名は今は容易くロックオンの舌に馴染んで、やわらかく響いた。それが、かれらがともに戦ってきた時間の長さだった。
 グローブを嵌めた掌がそっと握りしめられた。胸の奥でつぶやいたのは、喪われた温もりに対する詫びの言葉。
 採るべき道はすでに、マイスターになることを択んだあのときに決まっていた。
「刹那。――俺はきっと、未来永劫あの日のことを忘れはしない。忘れられない。俺から家族を奪ったやつらを赦すこともない。…永遠に」
 ざり、と刹那の足元で砂が鳴る。ロックオンは振りかえらない。碧く白くうねる波の先を見つめて、だけどな、と続けた。
「おまえはたしかに俺の家族を奪った組織の一員だったんだろう。その意味ではおまえも俺の仇なのには違いない。でも、」
 でも今の俺にとってはおまえも弟みたいなもんなんだ、と。
 ロックオンは一息に噛み締めるように白状して、刹那へと向き直った。口の端だけでわらう。
「あんなことしといて随分と虫のいい話だとはわかっちゃいるが、避けられるのはちょっと辛い、な…」
 自分でもずるい態度だと思った。曖昧な言葉で誤魔化して、有耶無耶にしようとしている。
 刹那は雷鳴に打たれたような表情をひらめかせ、それから顔を歪めて俯いた。珍しく見せる年齢相応の素顔。痩せた身体の両脇で握りこまれた拳に白く関節が浮くのを見咎めて、殴られるかなとロックオンは頭の隅で自嘲する。だけど、大人はずるいものと相場が決まっている。殴られて場が収まるなら、それもいい。
「おまえは……」
 搾り出すような呻きが歯列の間からこぼれた。ん?と頭ひとつぶん低い顔を窺う姿勢になったときだった。
「おまえは弟とこんなことをするのか」
 刹那がぽつりと呟き、きっと鋭く睨みあげた。お、と思う間もなく、
「い゛、っ…!」
 ロックオンの懐へ飛びこんだ刹那は、首筋に流れる栗色の髪を一房むんずと掴んで、下方へと加減のない力で引っ張った。そして痛みに顔をしかめるロックオンの唇に。
 がぶりと。
 噛みついた。
 暴力的な接触に反射的に怯みながらも、ロックオンは小柄な子どもの身体を抱きとめる。成長の足りない細い肩。細いけれどもしなやかで、強靭な。
 しばらくして唇を離した刹那は、やはり睨むような強い眸で至近距離にあるロックオンの両眼を射抜いて、きっぱりと言った。
「俺は、謝らない」
「……せつな」
「赦されようとも思っていない」
 ひどく真摯なまなざしに、ロックオンは息を詰めた。
「だから、ロックオン」
 囁くように呼ばれたのは、まがいもののコードネーム。昨日知ったはずの本当の名ではなく。
「――――――おまえも、」
 おまえも、俺を赦すな。
 ひそやかに告げられた望みは、完全にロックオンの意表をついた。
 瞠目し、呼吸すら忘れて、ロックオンはただ瞬きもせず見上げてくる子どものあかい双眸を見かえすことしかできなかった。何か言おうと口を開くが、何を言えばいいのか皆目わからなくて、結局また閉じる。そんなロックオンから目をそらすことなく、刹那は再び、赦さなくていい、と繰りかえした。
 ふいに声をあげて泣きだしてしまいたい気持ちが沸き起こって、ロックオンは目の前の華奢な身体を押し包むように掻き抱いた。肩にかたく両腕を巻きつけたのは、顔を見られないため。かろうじて残った年長者の矜持だった。
 いつだってこの子どもは、ロックオンの予想の斜め上を行くのだ。
「……ありがとう」
 またしても大人のずるさで波の音にまぎれてため息に乗せた一言が、それでもきちんと刹那の耳に届いたことは、遠慮がちに後頭部に添えられた手が教えてくれた。

Fin.






→あとがき