←旅行中の葛生さんのカバンの状態。
実に恥というものを知らない四捨五入三十歳。
●2005年春会津紀行 - 「会津のど真ん中で鳥歳と叫べ!」
【@宿、めくるめく鳥歳の宴 】
今宵の旅宿は土方ファン憧れの(?)東山温泉。葛生さんの我儘により、囲炉裏端で食事を供してくれる和風旅館にて「療養中の土方さん気分を満喫しよう」というプランでございました。雰囲気たっぷりの引き戸をがらりと開ければ、こじんまりとした居心地のよい空間がお出迎え、部屋の真ん中にはコタツがあって、歓声をあげ荷物を解くのももどかしく潜り込む東国よりの旅人二名。
続いて葛生さんは開口一番、仲居さんに注文します。「すみませんが浴衣、一つは大にしてもらえますか。」←身の丈170cm超なもので、旅館の浴衣はたいてい男物でないと丈も裄も足りないのですよ。立ち上がった葛生さんを上から下までつ…と見定めた小柄な仲居さん曰く、「じゃ、特大持ってきましょうかね。」 …いやあのそこまででかくなくても。こりゃ腰揚げが必要かな、帯だけでちゃんと留まるかな?などと考えてたのですが、持ってきてもらった特大浴衣、そのまま羽織ってジャストのサイズでしたとさ…。
柴宮さんからは絶版本を二冊お借りすることになってまして、受け渡し後、そのうちの一つ、ブリュネさんのスケッチ帳を見ながら夕食までまったり寛いでました。勿論、大鳥サマもご一緒に。(こたつの上に乗せてました←どこまでも痛い人だな)
夕食は、囲炉裏を囲む他2組のお客さんに加わって、まずは熱燗から。葛生さんは日本酒は何度挑戦しても駄目で苦手意識が染み付いており、今回も迷ったのですが、どうせビールも嫌いだし折角の雰囲気だし(会津で囲炉裏端ときたら酒!みたいな)、どうしても駄目ならお茶でも飲みゃいいかと、柴宮さんのお酌(!)で一杯いってみたらば、…アレ?旨い…? てなわけですぐに干してしまって、結局もう一本つけました。あれぇぇ? 燗は特に苦手だったはずなんだけどなあ? 圭介が乗り移ったのか、美人のお酌がよかったのか(笑)
お食事は量も質も非常に乙なものでした。目の前の炭火(囲炉裏)で串焼きにしてくれた岩魚の塩焼きと餅と田楽が特に気に入りました。あと漬物が旨かった! 敢えてマイナス点を上げるとすれば、全体に塩が辛めの味付けだったことかな。葛生さん家はかれこれ十年も前に今は亡き祖父が脳梗塞で倒れて以来の減塩生活が続いてるので、たいていどこでも外食の味は濃すぎるんですけどね。
最後に食べ始めた我々が居残ったのは当然の成り行きとしても、とりとめもなく話しながら(圭介話は当然のように含有されている)箸をもそもそ動かしていて、気づいたら囲炉裏端で二時間近くが経過していたという罠。「長居しちゃってすみません」と頭を下げる我々に、仲居さんは愛想よく「構いませんよー」と笑って、アイスクリームをくれました。…他のお客さんたち貰ってたっけ…?
腹が膨れたら本日のメインイベントその1(え?)、裸の付き合い、お風呂です★ 「どうせなら浴衣に着替えて行きませんか?」とすかさず柴宮さんを誘う葛生さん。浴場は狭かったですが、貸切状態だったので幸せでした(ええ?) あんまり気持ちよかったので、「療養中の土方さん気分を満喫」どころか、普通に温泉を楽しんでましたね(苦笑)
しかし湯殿を出た後で直面した大問題。同好の呑兵衛二人集まれば当然、夜は酒盛りしつつ鳥歳話(本日のメインイベントその2←臆面もなく)、というわけで、葛生さんときたらやる気満々で前日にツマミを買いこんで持ってきたくらいです。ところがですね、二人とも、あろうことか肝心の酒を買うのをすっかり忘れとりまして(爆)
風呂上りに外(しつこいようだがめちゃくちゃ寒い)には出たくない。「温泉旅館だし、土産物扱いで置いてるんじゃないの〜?」とロビーを覗きに行くも、酒瓶など影も形もなし。せめて自販機くらいは…!という望みも絶たれ、仕方ないので部屋に戻り、備え付けの冷蔵庫を確認すると、ワンカップとビールが数本の他はソフトドリンクの模様。葛生さんはビール嫌いなので、こうなったら外に出てやろう、と決意を固めましたが、そこでハタと気づいたのは、東山温泉て山沿いの、谷をちょっと入ったところの昔ながらの湯治場なんですよね。要するにあんまり開けた観光地じゃないわけで、夜の九時過ぎに果たして開いている店があるのかどうか。ものっそ不安にかられつつフロントに電話して聞いてみれば、「そうですねーこの時間だとコンビニくらいですねー。ここから2キロほど下ったところですけど。」
や、もうさすがに、それはちょっと…と腰が引けまして、諦めてビールで乾杯することに致しました…。(T T)
冷蔵庫から取り出したビールは、ご当地の流行りに倣ってその名も「野口英世ビール」(…)。といってもラベルに英世さんのアニメ絵がついてるだけで中身は普通のビールでしたが(笑)←現在の会津は、白虎隊と新撰組と英世さんが絶妙に混在して地域振興に一役買っていて、なんとなくしょっぱいかんじです…。
さて、お待ちかねの鳥歳ナイトはといいますと、結論から申し上げれば、九時半頃から始めて、あっというまに日付が変わり、延々二時までひたすら鳥歳を語っておりました(…。)
よくまあそんなに語ることがあったもんだよ(汗)
最初のうちこそ様子見のジャブっぽく、「圭介の為人について」とか「世の圭介評の分析」とかお互いの仕事の話とかしてたんですが (葛生さんたら大真面目に「圭介ってね、誤解されやすいタイプなんですよ。全く同じ言動が、人によって好意的に受け取られたり正反対に受け取られたりして、だからめちゃめちゃ懐かれるかとことん貶されるかどっちかなんです。」とか言い切ってましたが、あんた圭介に会ったことあるんかいな。)、ややもしないうちに話題は鳥歳一辺倒に。二人揃って、「土方ファン」→「鳥歳」→「鳥←歳」という遍歴を辿っていて、その理由も同じ「圭介のことを知れば知るほど、土方を追い掛け回す姿が思いつかないから」であることから、それじゃあ「鳥←歳」の根拠というか馴れ初めの設定をこの機会に!…と、真剣そのものの表情でどうでもいいことに気炎を吐く我々です。
しかし道は険しかった。
まず最初に葛生さんがついうっかり、二人が一緒に過ごせた時間の短さに言及してしまいました。国府台で顔を合わせて、翌日には別ルートで北上。宇都宮で邂逅するも、4日後にはまた別れ別れに(しかもこの間壬生攻めやら宇都宮敗走やらばたばたしているから二人の時間はとれそうもない)。土方が東山療養中に圭介が訪ねることができたとすれば5月半ばに会津若松に出向いた時くらいしかなく、南柯紀行にははっきりと「城東に天寧寺東山とて温泉場あり(中略)余は多事なりにし因て此境に遊ぶ能わず遺憾不少」と書かれちゃってるので、お泊りはなしということになる。その後圭介が若松に来るのは7月末で、その直後に二本松奪還へ出陣、8月半ば過ぎには母成峠の戦いがあるから、のんびりしてる暇はなさそう。そして母成峠でまたしても離れ離れになり、大塩で再会したのは一瞬で、土方は庄内へ援軍を求めに走る。圭介が仙台に着くのが9月半ば、約一ヵ月後に蝦夷へ向けて出航。10月20日に上陸して、またまた別ルートで五稜郭へ。26日に揃って五稜郭に入城するものの、翌日土方は松前攻略に出発。五稜郭への凱旋が12月15日で、それから年明けまでは何事もないのですが、圭介は五稜郭を直したり、ブリュネと大森浜や峠下の巡見をしたり、2月初旬〜3月半ばまで松前・江差へ出張しちゃったりと、ちっともじっとしていない。圭介がようやく箱館に帰ってきたと思いきや、今度は土方が宮古へ。4月以降はもう戦いの日々。 『君の名は』顔負けのすれ違いっぷり(柴宮さん言)に、一瞬呆然となる我々。(苦笑)
続いて、「なんとなーく、印象なんですけど、そもそもこの二人ってあんまり話してなかったんじゃないかという気が…。」
「あ、わかりますそれ。嫌いとかじゃなくて、それ以前の問題で。」
「そうそう、要するに接点がない、と。」
のっけから全否定要素ばかりぞろぞろと出てきてしまっては、さすがに気も萎えるってもんです。
されどここで負けては腐女子が廃る。
「ならば何としてでも火を起こしてみせようじゃあないか!」
「いやむしろ煙というのは火のないところに立つから煙なのであって…!」(←??!)
「そうだ、会う機会が少なかったのなら、会わない間にお互いの気持ちを育ててしまえばいいんだ…!」
「誤解や思いこみが勝手に七転八倒して愛情に変わっていくというアレですね…!」
土方さんには山川に嫉妬してもらおうとか、石莚の後で圭介が死んだと思って後悔してもらおうとか(鳥←歳なので基本的に土方の心境の変化が課題)、もう言いたい放題でしたが、ええ、我々、本気も本気でしたとも! 本当に、この熱意と集中力を別のところに発揮すれば今頃大金持ちになってそうです。
アクロバティックな論理展開を経て、どうにか無事、二人はゴールインできましたとさ。リーンゴーン♪(←……。)
馴れ初めが一段落したらば、お次はシチュエーション話。行灯の光を小道具にとか、五稜郭が洋風建築じゃないのが痛いとか、こんな科白を言わせてみたいとか、こんな体勢(……。)をとらせてみたらどうかとか、柴宮さんはスケッチブック、葛生さんは富士太郎くん(先日購入したネタ書き付け専用PDA←汗)を開いて、あーだこーだとネタの仕込みに励みます。特に打ち合わせたわけでもないのに土方さんが圭介に圧し掛かってる構図が矢鱈多かったのはご愛嬌(←?)。いつもは一個しかない鳥歳脳に外付けドライブがあるも同然の状況ですから、いやもうネタの展開が早かったのなんの。時折お互いの手元を覗きこんでは「うふふふふ…」と怪しげ(しかし本人たちはあくまでも幸せ)な笑みを零しつつ、会津の夜は更けていくのでありました。
あー、充実した一日だった☆
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