● 初秋の六方沢で圭介と握手!
【六方沢の朝風は寒かった。の巻】
※写真にマウスオーバーで簡単なキャプションが出ます。
平日ならまだ夢の中な6時にばっちり起床(ちなみに前夜就寝時刻は2時近かったような…)。これが仕事絡みなら盛大に文句をたれるところですが、本日は目当てが目当てだけに、眠いとも怠いとも思わず黙々と支度します。萌えは時にありとあらゆる苦難を凌駕するものです。
朝食を取る暇も惜しみ、遊禅さんのお母様お手製(大・感・激!)のオニギリをしっかり積んだら、遊禅さんの運転でレッツ六方沢!
何でこんな早朝に出発したかというと、昼過ぎくらいまでに「戊辰の道」(※)を踏破してしまいたかったから。
というのも、昨年、同時期の霧降高原にて、葛生さんは5メートル先も判らない真っ白な世界(→参照)を体験しておりまして、そのときの霧の発生時刻・午後2時までには何としても踏破を…!というのが我々の死活問題となっていたのでございます。(だって圭介が暗闇で足を踏み外しそうになった道を、霧の中歩くなんて、まさに自殺行為じゃねぇ?)
しかし前日までのリサーチでは、参加者3名のうちの誰ひとりとしてこのハイキングコースの平均所要時間というのを確認できなかった。そして、にもかかわらず下り推奨のコースを逆路で歩く気満々だった。(だってやっぱ圭介と同じ道順で歩きたいじゃないか!) よって、少し時間に余裕を見たのでした。
…にしても、ちっとばかり余裕見すぎでしたが。や、行楽シーズンだし連休だし、日光で月見行事があるっていうし、もっと日光街道が混むと思ったんだよ…(運転経験者2人の共通意見)。でも、ものっそいスムーズだったよ。やっぱアレか、普通の観光客はバイパス使うのか。下からちまちま行くなんてのは貧乏圭介ツアーくらいですか。放っといてくれ。(やさぐれ)
※「戊辰の道」=2005年秋現在ほとんどのガイドブックで「廃道」となっている、日光と会津を繋ぐ「六方越」の旧道を元にしたハイキングコース。かつては「うぐいす尾根ハイキング道」として利用されたが、二十数年前の台風でがけ崩れなどが起こり、放置されたままになっていたのを、地元が中心となって「戊辰戦争の戦火から日光の社寺を守った歴史を後世に伝えよう」と整備を計画、2004年6月に再整備が完了した。ルート詳細はのちほどご説明します。
途中コンビニで飲物や軽食を入手し、日光街道を一路西へ。いちおゴールド免許所持者(笑)の葛生さんがナビで助手席に座りましたが、基本的に一本道なので、気楽なものです。結果、ナビの仕事は道々、「ここが圭介が××した辺りです」系の薀蓄をひたすら垂れ流すことのみと化しました…。(例: 「このへんに大沢宿があって、圭介が少し休もうと思って農家の縁側に腰掛けたら、いつの間にかコテっと横に倒れて寝ちゃったんですよーvv」)
現在の日光杉並木は、大沢を過ぎたあたりから始まります。それまで普通の対向道路だったのが、正面に見えてきた鬱蒼とした森の中に吸い込まれていく様は、ちょっと圧倒されます。並木の中はかなり暗く、よく晴れた日の日中は木々の間から漏れ入る光がフラッシュのような効果をもたらすので、ドライバーはちょっと怖い思いをする、と、昨年圭介ドライブにつきあってくれた友人は言っておりました。この日は早朝だったことも手伝って、そんなに眩しくはありませんでしたが。(運転してたのお前じゃねえだろ。)
杉並木に突入してちょっと行ったあたりが、森友宿。このあたりの日光街道は、並木の中を通ったり脇を通ったりします。自動車道を通した当初はずっと並木の中だったそうなんですが、交通量が増えるに従って木々が痛みはじめたので、保全のためと道幅拡大のため車道を外に通すようにしたとのこと。車道から開放された並木道が遊歩道となっていて、当時の道幅を今に遺しているそうな。森友といえば、第二次今市攻略戦で圭介が木立に身を隠して撤退し、その後、味方と勘違いして近づいた敵に追いかけられて命からがら逃げたという逸話が残る場所ですよ! ……帰路に時間があったら木立かくれんぼ圭介ごっこがやりたい、と言い出して同行2名を困惑させる葛生さん@最年長。(…。)
そんなかんじであっという間に日光に到着しました。商店街を直進すれば東照宮ですが、それは翌日に取っておいて、JR日光駅を過ぎたところで右折し、大谷川を渡ります(霧降大橋)。去年も今年も水量はたいしたことなかったけれど、川幅といい、護岸工事の様子といい、雨が降るとかなり増水しそう。南柯紀行には、雨で増水した大谷川を渡れず困るシーンが出てきますが、さもありなん。
川を渡ってすぐ、道は急勾配になります。ややも走れば、霧降高原有料道路の通行ゲートが見えてくる。料金所の手前で右に折れて少し行くと霧降の滝があるのですが、今回はパス。六方沢目指して、ひたすら急勾配を上ります。ツーリング日和で、車よりバイクが目立ちました(朝っぱらだしな!)。結構な坂道なのに、中には徒歩や自転車で登っている人たちまでいて吃驚。あとで確認したら、有料道路の規定に自転車料金てのがありましたよ。…取るんだ、お金…。
もうそろそろ六方沢橋のはずだけど、と思いはじめた頃、前方右手にとんでもないものを見てしまい、遊禅さんと2人して思わず「ぎゃー!」と悲鳴をあげる。…や、絶壁を背景に、えらい想定外な高さの白い橋脚がどっかりと。のっそりと。全長320メートル、谷底からの高さ134メートル。写真で何度も見ていたのだけれど、実際にこう、自分のサイズと比べてみると、「ぎゃー!」ってなかんじでございましたです。
で、3人揃ってぎゃーぎゃー騒ぎながら橋の上まで来たら、えっと、そんな怖くなかったんですが。(笑) ←下が見えないと距離感がないので、わりとヘイチャラなんですネ。
六方沢橋の両袂に駐車場があって、眺めがよいのは日光から登って手前にあるほう。でも、圭介ファンは橋を渡った先の駐車場に停めなきゃ駄目です! 何故って、だってそっちがわの袂に野州花の詩を紹介したカンバンがあるんですもの。
……そう、碑文じゃなくて、看板なんです。昨年、深い霧の中にこれを発見したときの感動というか、拍子抜けというか、あの気持ちは言葉では到底説明がつかないよ…。
それから、先刻は車で渡った橋を、今度は徒歩で渡ってみます。晴れていれば関東平野を一望するという橋からの眺めは、葛生さんも初体験。時刻は朝8時半、遠方は残念ながら朝靄にけぶってしまっていましたが、「うわあー…。」と、ぼんやりと冷たい空気を吸って一頻り圭介に想いを馳せるには充分な眺望でしたです。欄干に掴まって下を見るとね、さすがにね、高所苦手人間はムズムズしてきますが。ま、落ちたら一巻の終わりなのは明らかな高さなので、ある意味心配は無用です。(何が。)
欄干に、誰々参上!てな文字や相合傘が書いてあって、気づけば熱心に読んで歩いてたり。――イエ別に圭介参上!とか誰かさんと誰かさんで相合傘を書いてやろうなんてちゃちな悪行を企んでたわけではなく。(本当ですヨ!)
暫くして寒くなってきたので車の中に撤収。この後はいよいよ「戊辰の道」ハイキングと相成るわけですけれども、圭介と同じように道を上るには、一旦、霧降の滝近くまで戻らなくてはなりません。日光⇔霧降高原間にはバスが走っているので、霧降高原バス停の駐車場に車を置いて、バスで下まで降り、歩いて上ってきて車をピックアップ、という予定を組んでいました。
想定していたバス搭乗時刻よりまだ1時間近く早い時間でしたが、早く踏破すれば早く昼飯にもありつけるだろう(遊禅さんのお母様が握ってくださったオニギリは朝食としてすでに腹の中)、という打算をもとにあっさり予定を変更します。行き当たりばったりなのではなく、臨機応変な対応と呼ぶように。
かくして、8時59分霧降高原発日光駅行きのバスに乗り、つい先刻えっちらおっちら上ってきた(車でだけど)霧降高原道路の急勾配を逆行すること20分、標高にして約450メートルくらい振り出しに戻りました。これを今度は自力で登ってこなきゃならんのですな…。(遠い目…←いやでもそれが旅の目的だったんじゃ…?)
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