● 初秋の六方沢で圭介と握手!


【戊辰の道は昼間でも辛かった。の巻】


 ※「戊辰の道」とは何ぞや、という説明は、こちらをご覧下さいませvv (手抜き万歳)
 ※写真にマウスオーバーで簡単なキャプションってか葛生の感想(…)が出ます。



「戊辰の道」入口にいちばん近いバス停は、「隠れ三滝入口」というところなのですが、ハイキングコース入口はバス停から霧降高原道路を徒歩5分ほど登ったところにあります。おかげでのっけから「来た道を戻る」感が高まって前途多難の予感抜群!(…しかもこの道程ですでに息が上がってたってのは、いくら陽射しが強かったからって、拙すぎるんじゃないか…?)
暫く歩くと右手にアスファルトの私道があるので、ここを降りていくのが近道だし楽なのですが、お奨めは、もう少し上に登ったチロリン村の向かい側の「ハイキングコース入口」から歩きはじめること。そのほうが『南柯紀行』っぽさが出ます。(笑)
いや、我々がそこまで道を戻ったのは、単に歩く前にお手洗いを済ませておくのを忘れたからってだけの理由だったのですが。
チロリン村っていうのはキャンプ場で、入口のところに高原植物やお土産を売ってる店とパン屋さんがあります。お土産屋さんで、「戊辰の道」の途中までの地図が貰えました。(何故途中までかっていうと、その地図がチロリン村を起点に周辺の滝を廻るルートの紹介だったからです。でも、戊辰の道の入口はちょっとわかりにくいので、便利でした。)
ちなみに、時間が勿体ないしお腹も減ってないし、ということでパン屋さんには寄らなかったのですが、後から思うに、何か摘めるものでも買っておくべきでした。うん。「ハイキング」って言葉に惑わされて甘く見てましたよ。色々と。


チロリン村で貰った地図によると、「戊辰の道」は「隠れ三滝」(丁字の滝、玉簾の滝、マックラ滝)の方へ谷を少し降りた場所からスタートしています。よって、まずは丁字の滝を目指して「隠れ三滝」と書かれた矢印に従って、記念すべき第1歩を踏み出しました。
と、そこでまず目に飛びこんできたものは、5歩先がすでに道ではないような景観。
「これハイキングコース!?」と実際に葛生さんは叫んだ。マジで。
や、丸太で作った階段になってて先が見えなかっただけなんだけど、そして我々の脳裡に最初から「圭介の歩いた道なんて本当に人間が歩けるのか?」という疑問符(酷ェ)が飛んでいたからでもあるんですけど、一見まるでただの林だったんですもの…。(自己弁護)
気を取り直して前進開始。暫く下って右に折れたところで再び、「ここ道!?」と叫ぶ。――でこぼこなんです。さらに幅1メートル未満の道のど真ん中に、どかんと木が立ってたりするんです。いちおう、下草を刈り取った後があるので、たぶん道なんでしょうけれども。でも顔のあたりに勢いよく細枝が張り出していたりして、足元以外にも気を使う。初っ端からこんなんで大丈夫か、と否が上にも高まる不安。それを払拭するかの如く、勢いつけて一気に下って、一旦アスファルト道路(前述の近道私道)にご対面した、そこがようやっと「戊辰の道」のスタート地点でございます。
見事なまでに肝心な部分を端折った感の強い案内板…。ここまで、たぶん10分もかかってないんですけど(地図上の所要時間は7分)、……妙に疲れた(気分が)。


アスファルト道の反対側は、道が二手に分かれていて、右へ行くと「丁字の滝」、左が「戊辰の道」です。実際は、ついでだからと、近くの丁字の滝を覗いてからハイキングに突入したんですが、まァそこは割愛します。(滝に行く道の途中に古窯があって、その中から圭介が出てくる光景とか訳わからないことをぼんやり思い浮かべたりもしたんですけど。あまりにも突拍子もなく阿呆だったので黙ってたため、同行のお二方もご存知ない真相。)
「戊辰の道」入口には、案内板が二つ並んでました。周辺のハイキングコース案内図と、「戊辰の道」の説明です。まぁだいたい観光地でこの手の案内版を読むとケチをつけるというのが歴史ヲタクの宿命かと存じますが(そうか?)、間違っちゃいないけど説明不足だのと口々に文句を並べつつ――ここまで当り障りのない説明というのも凄いなというのが正直な感想――、いざ出陣。


初っ端から胸突き八丁でした。ぐねぐねと曲がりくねりながら、ひたすら登っていくかんじ。道幅は狭くて、やっぱり地面がごつごつしていて、広葉樹の林が両側から覆い被さってくるようで、本当に、あっという間に呼吸が荒くなる。
葛生さんは軽登山を何回かした経験があるので、本当ならこの程度は歩き難いと称すほどでもないのだけれど、なにぶん運動不足続きの頼りない筋力体力。地図や地形図から想像していたのよりずっと「真面目なハイキングコース」だと、少し脳内認識を改めざるを得ませんでした。(ただし、覚悟するだけならタダなんですよね…。)
10分ほど歩くと分岐点。ぱっと見たところ、左右に道が分かれているようです。でもちょっと待って。戌辰の道の案内絵図(遊禅さんが用意しておいてくださった)によればここは十字路で、そして我々の採るべき方角(すなわち戌辰の道の続き)は、直進じゃなかったっけか。どこに道が?(爆)
慌ててチロリン村版の地図を確かめる我々。確かにどちらの地図も、ここは十字路になっている。もういちど目線を正面に戻すと・・・

「え、だってどこに道があるの?」 

思わず顔を見合わす我々。け、獣道、かな?…って程度の、見ようと思えば道に見えなくもないものがあるにはあるけど……。(汗)
戸惑いもあらわに三つの目が再び地図へと集まる。
しかしよく見ると、チロリン村版の地図のほうは、正面直進の道の先にバッテンが付いている…! これは廃道ということか? いやしかし戌辰の道は去年再整備されたばかりじゃなかったか。その後なにか問題でも起きたのか? そういえばこれまでの道すがら時々見かけた案内板も、ここでは左右の道のぶんしかない。いやまて、それは案内板を設置したのがチロリン村だからじゃないのか? この先に行ってしまうとチロリン村に帰って来れないから迷子防止として道がないような扱いをしているんじゃないか?
喧々諤々の末、とりあえず手元の地図を信じてみようということになり、恐る恐る先へ進みました。うんだってここまできたらやっぱり行けるとこまで行ってみなくちゃ大鳥スキーが廃るし、どうせ一蓮托生だし(酷)、これで迷ったりしたら完全に南柯紀行の世界それはそれで同人女として冥利なんじゃなかろうかという間違った欲望が芽生えてきましてですね(笑)
でも、旅中でもっとも同行人の存在を有難く思ったのはこのときでございました。単独だったらあの先を進むのは諦めてたかもしらん。

行き止まり。
結論から言えば、道は正しかったわけですが、しかし葛生さんの旅路に罠が転がっていないわけがない。
…迷いました、ええ。道なりに下草がもっとも薄いところを辿ってきたらば、行き止まりでした。持ってた地図はどれも一本道でして、三人ともどこで間違ったのやら皆目見当がつかす、やはりあのバッテン印は有効だったのか、と一瞬途方に暮れてみたりもしつつ、ちょうどそろそろ疲れが見えはじめた頃合いでしたので、「圭介らしい〜!」と一頻り笑い転げて少し元気が出ました。(笑)
実は、少し手前に、最初に通った時に葛生さんが「もしかして…?」と覗き込んで、傾斜の度合いで違うだろうと判断した斜面がありまして。そこまで戻って見下ろしてみましたが、どう見ても道というよりただの斜面。「まさかここじゃないよね」と再び顔を見合わせつつ、他に心当たりもないので、とりあえずお二方には上で待っていてもらい、葛生さんが一人で降りてみました。木の枝に縋りつつ滑り落ちるよな勢いで。(こーゆーもなァ、イキヲイだ。)
結果はビンゴ。降りきったところに、ささやかな標識がございました。が、降りきってから振り返っても、やっぱりどこが道なんだか…。


道端に生えていた。食えるかどうかは知らん。 だいたいこの戊辰の道、何が凄かったって、まず、行楽シーズン(しかも連休)のハイキングコースのはずなのに、我々のほかに人(ヒト)気が皆無なんです。霧降高原にも丁字の滝の周辺にも他のグループがいたのに、戊辰の道に入った途端、人気がぱったりと消えたんです。聞こえてくるのは鳥の声だけ。周囲は一見さわやかな初秋の雑木林ですが、歩けど歩けど景色が変わらないのには本当に閉口しました。緑や薄黄緑の葉がみっしり生い茂っているので、木漏れ日はあって明るいものの視界は狭く、閉じ込められたような閉塞感がある。ましてや足元は笹が侵食しつつあり、時折両脇が急斜面の細道(狭いところだと幅50cmくらい…)になり、眼前に張り出した枝やクモの巣が行く手を頻繁にさえぎってくれるとあらば、「本当にこの道でいいんだよね…!?」と激しい不安に襲われる我々をいったい誰が責められようか。
最初のうちこそ「南柯紀行っぽい〜☆」と浮かれ騒いで記念撮影なぞしていた(…)我々ですが、歩き始めて30分も経った頃にはすっかり無口になっておりました。不肖ながら先導(別名・クモの巣払い係)をつとめさせていただいた葛生さんも、もはやひたすら黙々とクモの巣を払い、しょっちゅう失敗しては頭や顔からクモの巣に突っ込んだりしとりました。(本気でいつから人が通ってないのかと思ったよ!
えー、そんな道なので、圭介とか戊辰戦争に格別の思い入れがなくただのハイキングコースとして考えると、つまらない道だと思います。花も咲いてないし、飽きます。たま〜に、道端にキノコとか生えてて、圭介の六方越えも秋だったら食べるものがそれなりにあっただろうに、とか(毒キノコの可能性は敢えて無視)、ぼそっと雑談してみる程度しか、気晴らしの術がありません。
さらには、緩やかな登りに間断なく体力を削がれていくかんじ。コレ、後日「推奨の下りコース」を歩いてみた方の話を聞いたら「楽でした」とのことだったんで、我々の異常なまでの疲労っぷりは、やはりダラダラした登り道と視覚からくるものだったっぽいです。(単に我らの体力がその方より無かったって可能性も否めませんが。)
圭介はどうだったんだろうな…。昼間でもこれだけ視界が悪いんだから、夜は本当に辛いだろう。ところどころ木の根や石が飛び出ている道は、苔生した所も多く、全体に土もふかふかしていて水気を多く含んでいるのが判ります。雨上がりなら「泥深く」と圭介が書くのも、さもありなん、足場はかなり酷かったでしょう。…きっと圭介の周りで、(暗いから)本人が近くに居るとも知らず、歩兵たちが「大鳥総督の所為でこんなところ歩かされて堪ったもんじゃない」とかぶつくさ不平たらしてたに違いない、とか失礼なことを言い合って笑ってた我々ですが、心底は一同、「圭介…無事でいてくれてよかったよ…(しんみり)」でした。
当初の目論みでは、一時間くらいはノンストップで歩くつもりだったんですが、さっさとギブアップ。その後も気分転換も兼ねて、わりと小休止を多く取ってた気がします。


もう半分も来たろうかと思う頃、戊辰の道での唯一の邂逅者、3人連れの熟年ハイカー(推奨どおり賢く「下りコース」選択)に行き会いました。ちょうど道がカーブになってる場所で先が見通せなかったので、声だけが聞こえてきまして、最初は幻聴かと思ったよ(笑)←なんかもうすごく長い時間、自分たち以外の人に会ってないような気がした。水の音ってのは心が洗われますなあ。
「もうちょっと行くと景色のいい場所があるよ」と教えてもらったついでに、まだ先は長いのかと聞いてみると、「あと半分くらいだよ、頑張れ!」「もう少し歩くと小川があって、水がとても冷たくて気持ちいい。それを過ぎたらもうすぐだよ」とのこと。ああよかった…と胸を撫で下ろしつつ、もう一息と奮起して進むほどに、やがて足元がぬかるんできて、そうして辿り着いた小川は本当にちいさな流れ(幅1メートルくらい?)でしたが、滔々と流れる水をまたいで丸太を並べた可愛らしい橋がかかっていて、なんとも心和む景色でした。教えていただいた見晴らしポイントも、ずっと閉ざされてた視界にはよいリフレッシュメントでした。
ただし、残りの行程に関しては、まったくあてにならない助言でございましたです…。まァ、山登りで行き会う帰路の人の「あとちょっと」は往々にして信用ならないものですが(笑)、半分どころか漸う3分の1ってところだったんじゃないかしら。その地点から終点(霧降高原)まで、休憩コミではありますがゆうに2時間はかかりましたですよ…。


そんなわけで、せっかく回復したHPはあっという間にレッドゾーンに逆戻り(爆)
だらだら登りもですが、景色がまったく変わらないというのは精神的にけっこう辛いものです。下手に足を止めるともう次の一歩が踏み出せそうになくて、ただ足元を見つめて黙々と足を運ぶ。
さらには、小川の手前あたりから、葛生さんの右脚の付け根が痛みだしまして。実は葛生さんてば、8月に通勤途上で捻った左足首が完治しないままの戊辰の道挑戦(←無謀)だったのです。どうやら無意識に左足を庇う不自然な歩き方をしていたようで、痛みだけなら我慢すりゃ済みますが(いや痛いけどさ)、痛みが酷くなるにつれて右足が上がらなくなってきたのにはほとほと参りました。脳は一生懸命「右足を持ち上げろ」とコマンド指定してるのに、全集中力を振り絞っても精々がとこ5cm上がるかどうかってとこで、いくら緩いとはいえ山道の傾斜を登るには足らない。
それでも、ここまで来たら前進するも引き返すも同じ苦労、ならば前に進もうじゃないか、とゆー惰性的な意欲と、言い出しっぺが真っ先にリタイヤしてたまるか!とゆー小学生じみた意地とを心の支えに、頑張りました! 一歩右足を踏み出す毎に、右脚の付け根に手を当てて、えいや…っ、て。
しかしアレですな、俗に言う「腹が減っては戦はできぬ」ってなァ真理ですな。この頃になると朝食べた(遊禅さんのお母様心づくしの)おにぎりもとうに消化され、体内貯蓄エネルギーも枯渇して、ますます足の出が悪くなるという。『南柯紀行』で圭介がさかんに「腹減った」を連発してますけど、もう笑えません。マジで切実です。身体を動かすにはエネルギーが必要なんだってつくづく思い知らされましたですよ。
てっきり簡単な「ハイキング」だと思ったから、まともな食料なぞ誰ひとり携行しておりませなんだ…。朝コンビニで各自の飲みものとお菓子は買ってあったんですが、腹の足しになるようなものでもなく。(あ、いや、実は虎の子がひとつあるにはあったんだけど、「食べちゃいます?」って訊いてみたら二人とも口を揃えて「それは踏破したときのためにキープしておきましょう」って言うからさァ)
それでも、葛生さんが塩気担当、柴宮さんが甘味担当、そして遊禅さんが酸味担当、と協力してひもじさを凌ぎます。…役割分担はたまたまです。無計画に各々の好きなものを買っただけです。きっとアレだね、幕末の神様のお導きだね!(莫迦は黙って死んどけ)

圭介の行軍を見守ってくださった有難〜い祠様。
そんなこんなで身も心もボロボロに成り果てた頃、おもむろに景色が変わりました。雑木林が、一面に笹の下生えのある針葉樹の林に。もっとも、視界が開けたわけでもないので、おおっと思ったのも最初だけで、あとはまた暫くそのまま変わらない景色に辟易してましたけど。
位置的にはその針葉樹林の、ちょうど真ん中らへんに、木々を切り払ってつくった休憩場所がありました。切り株が椅子の役割を担ってます。そこに、ふるぼけた石造りのちいさな祠が二つ、並んでいます。地図にも「祠」とだけ書いてあるのですが、案内板によれば、享保年間につくられたものとのこと。圭介が生まれる前ですよ…!(どういう感動の仕方じゃ)
圭介がこのあたりを歩いたときは闇夜でしたから、気づかなかったでしょう。或いは歩兵の誰かが躓いたかもしれず、或いはたまたまこのあたりで休憩した歩兵もあったかもしれません。一人くらいは気づいて拝んだ者もいたでしょうか。
お供えのひとつも用意がありませんでしたが、我らが道中の無事と、137年前に圭介の道中を守ってくれたお礼とを、手を合わせてお参りしました。こんな道で交易したくないとか本気で思った…。
それから、切り株にめいめい腰を降ろして少し休憩。ここで林を抜けてくる風でもあればさぞや気持ちよかったでしょうに、お供えしなかった所為か狙ったよーにまったくの無風状態だった(汗) 仕方なく、手動(笑)で風を発生させて涼む健気(ヲイ)な我々です。
――実は、地図上ではここまででようやく全行程の3分の2行くか行かないかってとこだったんですが(…)、考えたくないという心理作用が働きまして、敢えて事実にそっと目を瞑り(……)、汗がひいて息が整ったのを見計らってまた前進を開始。ややも行くとまた周囲は雑木林にもどり、傾斜がきつくなってきましたが、「もう少しだ!」と(無理やり)自身に言い聞かせ、ただひたすらに登り続けました。「…圭介はもっと辛かったんだ!」てなことも思ってましたね…(^ ^ゞ
葛生さんは、道に張り出した苔むした石をみるたびに、これはもしかしたら圭介が触ったかも、とか、蹴躓いたかも、なーんて阿呆な妄想をしては、モエを活力に転用してました。(可哀相な子。)


そうして、やっとの思いで到着した、「戊辰の道」の最終到達地。入口にあったのと同じ案内板と地図があります。喜びよりも、「つ、着いた…。」と、呆然というか、ゼーハーしてたというか。一時は先が行き止まりなんではなかろうかなんて思っただけに、感慨はありました。
もっとも、ハイキングコースそのものはまだ続いてます(爆) 「戊辰の道」部分が終わっただけで、ここから先は「大山ハイキングコース」に合流。右へ行けば大山で、左へ行くと霧降高原へ出るわけです。
圭介たちは、ここから右方面へ向かい、六方沢の斜面を下っていった、はず。今はその道はないのですが、途中までならたぶん大山ハイキングコースを辿って行かれると思われ、当初は右折して霧降川を渡るあたりまで行ってみる予定だったんですが、とてもじゃないけどそんなことする余裕はなかった。体力的にも精神的にも。
欲求にものすごく忠実に従って、左折。「あと本当にもうちょっとだから…!」と励ましあって進みます、んが………。ここからが、長かった。(涙)
今まで積もり積もった疲労の効果もさることながら、それでなくても遠慮したいほどの、笹に埋もれかけた非常に急な長い階段がございまして。勢いつけて5段くらい駆け上がって、小休止して、また駆け上がって、を繰りかえします。普通に登ろうとしたら、足は上がらないし、重心は後ろにいっちゃって転げ落ちそうになるんだもん。
途中に「あと500メートル」の表示を見て「よっしゃァァ!」と歓声をあげ、最後の力を振り絞って笹をかきわけ階段を上りきると、視界(というか頭上)が開けました。お、こりゃいよいよゴールが近いな、と希望に満ち満ちて更に暫く歩き、もう半分は来たろう、と思われるあたりで出くわした、次なる標識。

「あと450メートル。」 _orz..

本気で気が遠くなりかけました。「嘘だァァァ――!」という我々の絶叫(実際に叫んでた;;)は虚しく空に吸い込まれていきましたとさ。

まばゆい光を放つタマゴ様。
これで残った気力も根こそぎ奪い尽くされまして(笑)、疲れとひもじさからドンゾコまでみじめな敗北感に浸りつつ、踏破してから御褒美に食すつもりだった虎の子の秘密兵器を遊禅さんに取り出していただきました。朝、遊禅さんのお母様が茹でてくださったタマゴをば…!
をををを、何の変哲もない茹で玉子がなにやら神々しく輝いて見えますよ…!
道のど真ん中に座りこみ、3人の中央、ティッシュのお座布団の上にタマゴ様をそっと安置。震える手でシャッターを押します。
それから妙に畏れ多いよーな気持ちになりながら食させていただきました。な、涙が出るほどおいしかった…! 一口味わうごとにタマゴ様の偉大なる御力が身体中に広がってゆくのがわかります。青空わたる秋の風にさやぐ草とさわやかな陽射し。「けーすけー…」と意味もなく口々に呟いて茹で玉子に齧り付く我々に、六方沢の神は優しかった。食い終わり、気力体力ともに回復して立ち上がるまで、一人たりとも一般ハイカーはやってきませんでした。(間一髪だったんだけどネ)(見られたら相当恥ずかしい。←その前に邪魔。)


そこから先は、陽射しの中を行くので、開放感はありますがちょっと暑かった。でも、タマゴ様の御力で元気になってたので、アザミとか吾亦紅とかの写真を撮りつつ、草原を行き。
ついに、つーいーに、予定時刻を30分ほどオーバーして(…)、ゴールに到着いたしました!
何、この達成感…!
「ぃやったァー!」「着いたーっ!」と人目も憚らず大声で叫ぶ我々でしたが、忘れちゃいけない、そこは「大山ハイキングコース入口」です。これから歩く人たちがたくさん溜まってます。相当ボロボロに見えたのでしょう、「頑張ったね!」「お疲れ様!」と暖かいお声をかけていただきました、が……。途端にものっそい疚しい気持ちになりましたとです…。
結局、お昼までに歩き切る、という当初の目論みは完遂できず。それでも1時前に着けたのは、ひとえに予定より早めのスタートのおかげでしょう。大山ハイキングコース入口にはレストハウスがあって、休憩と腹ごしらえができます。が、疲労のあまり、あんまりモノが食べたい気分でもなく、甘味でまずは疲れを癒すことに集中。テラスからは遠く日光の市街地が拝め、そこから圭介が辿ったであろうルート、そしてたった今、自分たちが歩いてきた距離を実感し、なんかもう、言葉も出ませんでした。うん、頑張ったね圭介! 私たちも頑張ったよ!(><)


<続く。>

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